原作とは違う!テレビならではの展開から目が離せない
原作は2017年に連載がスタートした東元俊哉の漫画『テセウスの船』。北海道が舞台の壮大なミステリーだが、早い段階で原作とは違う結末であることを公表され、好奇心は一気に高まった。
誰も知らない結末に考察意欲が上昇したことと、期待を裏切らない新しい物語の展開に視聴者が熱量を維持したまま終盤に突入したところは、制作サイドのみごとな手腕を感じる。ミステリーのおもしろさに加え、強さとたくましさを兼ね備えた家族の愛と絆をじっくり見せることで「視聴者が作品へ寄り添うドラマ」を育てたようだ。
どの瞬間も見逃せない、「みんな怪しい」ゾクゾク感
小さな村での惨事は、物語が進むにつれて全員が黒幕として怪しく見えてくる。これもドラマによくある手法だが、背中をゾクゾクさせる空気づくりも非常にうまい。登場人物たちの意味深な表情や感情の激しさの向こう側がなかなか見えずで怖い。
SNSの時代、ネット上での黒幕探しの盛り上がりが物語に拍車をかけるケースが増えているが、早々に「〇〇さんしか考えられない」と考察班の見解ベクトルが統一されるケースや、物語の面白さが黒幕探し一点に集中し作品が広がりを見せないケースもあるなか、『テセウスの船』は考察の仕掛け方が実に巧妙である。
「みんな怪しい」展開で、疑心暗鬼の不安定な心情を主人公と一緒に視聴者も背負うことになり、すべてのシーンへの集中を余儀なくされることと、「怖くて見てられない」感覚と「怖いモノ見たさ」感覚が交差する演出の巧さが『テセウスの船』のゾクゾクに厚みを持たせている。
若い世代の光る演技に魅せられる
大作が多い日曜劇場においては、ベテラン勢による熟練演技の競演が繰り広げられる重厚な作品が多いが、『テセウスの船』では若い俳優陣が物語をグイグイと力強く動かしているところも興味深い。
秀逸な2人の女性が視聴者にとっても希望の星となっている
印象的なのは家族を懸命に支える主人公・心の母、和子(榮倉奈々)と、深い愛で心に寄り添う由紀(上野樹里)の存在である。大地のようにおおらかで力強い和子は、時に大笑いし、時にひるむことなく声をあげ、太陽のような明るさで視聴者を引き込む。心にとって救いとなっている由紀の瑞々しさと透明感も尊い。澄んだ言葉と知性ある行動で主人公をつつんでいる。2人の演技が素晴らしい。
複雑な心情をみごとに映す子どもたちも卓抜
惨事の舞台は音臼小学校。子どもたちの存在なくして成立しない物語だが、演じる人物の立ち位置をしっかり理解して挑む彼らの演技は必見だ。佐野鈴役・白鳥玉季の凛々しさ、佐野慎吾役・番家天嵩の無垢さ、加藤みきお役・柴崎楓雅の薄気味悪さ……。生き生きと伸び伸びと演じながらも、ふと見せる表情は物語をさらに奥深いものにしている。
もどかしさと歯がゆさが若い主人公への祈りに変わる
黒幕は誰だ? 最終回の大逆転が多い日曜劇場と言えども、謎解きは希少である。謎を解くのが専門職ではない主人公の脇の甘さや、鑑識なし科学性なしの捜査に、もどかしさや歯がゆさが積もる。しかし、視聴者は物語から離れることなく「あぶない!」「そうじゃない!」と手に汗にぎり、「お願いだから、幸せになって!」と祈るように物語の行く末を見守るところに『テセウスの船』の魅力がある。それを可能にしているのは、心を演じる竹内涼真と父親の警察官・文吾を演じる鈴木亮平だ。曇りのない、ひたむきでまっしぐらな2人の熱演が、作品への不安をみごとに跳ね返している。
被害者家族の哀しみをベースに真犯人探しに奮闘する作品は多いが、最近は加害者家族の痛みや再生が描かれる作品も増えていて、心理描写はさらに複雑だ。本作においても佐野家が壊れていく様子は見ていて胸が痛い。しかし、そこをしっかり受け取るところに、謎解きにおさまらない『テセウスの船』の醍醐味がある。家族の幸せを願う気持ちを、誰もが再認識する『テセウスの船』の功績は大きい。