散歩

大河ドラマ『西郷どん』の聖地を歩く!~東京編~

大河ドラマ『西郷どん』の主人公、西郷隆盛ゆかりの場所をめぐるお散歩。江戸の入り口である品川から江戸城を見つつ、旧宅のあった人形町、銅像のある上野公園まで歩きます。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

西郷どんも歩いた品川宿から江戸城への道

散歩の楽しみのひとつに昔の人のスケール感そのままに移動できるというものがある。昔の人の移動は徒歩だ。その感覚を味わえるのは素晴らしいことだ。というわけで、かつての東海道のひとつ目の宿場町であった、品川から散歩をスタートした。
日本国道路元標がある日本橋から7km

第一京浜、一国(いちこく)と呼ばれる国道15号

品川駅高輪口を出れば第一京浜がある。駅を背にして右へ行けば東京駅方向。左は横浜駅方向になる。というわけで、右へ。
山手線、京浜東北線の新駅を建設中だ。
散歩をしたこの日、まだ新駅の名前は決まっていない

2020年完成予定の山手線の新駅を建設中。

「提灯(ちょうちん)飛ばしのガード」と呼ばれているガードがある。タクシーの屋根についているのが提燈を飛ばすほど低いガードだ。正式名所は高輪橋架道橋。
山手線の新駅建設にともない廃止されるそうだ

高さ制限が1.5mの高輪橋架道橋

この高輪橋架道橋からすぐの場所に高輪大木戸跡がある。かつて、江戸の入り口には大きな木戸があった。その痕跡が残っているのはここだけだ。
かつて西郷どんも見ただろう石垣

高輪大木戸跡 港区高輪二丁目19番地

当時の東海道の道幅は約10m。道の左右にこの石垣が置かれ、その真ん中に木戸があったそうだ。ただ、西郷さんがここを通ったころすでに木戸はなく、いまと同じような景色だったようだ。今残っている石垣は海側の物だそうだ。

三田へ抜けた三菱自動車工場本社ビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地 西郷吉之助書」という石碑がある。會は会の旧字。
かつてここには薩摩藩の蔵屋敷があった

江戸開城 西郷南州・勝海舟会見之地

かつてこの場所に薩摩蔵屋敷があった。船で物資を運び入れるため、海に面していた場所に蔵屋敷がつくられたのだ。ここで東征大総督府下参謀という立場の西郷隆盛と旧幕府徳川家陸軍総裁という立場の勝海舟が会談を行った。

近くにあった薩摩藩三田屋敷は前年、幕府側によって焼き討ちされて使えなかったので、会談場所はこちらになったのだろう。この会談により、江戸城が無血開城されることが決まった。

西郷南洲の南洲とは西郷隆盛の号だ。別名とでもいえばいいだろうか。そして、ここにある「西郷吉之助書」について。吉之助というのは、西郷隆盛の通称なのだが、この書は、孫で同名の西郷吉之助の書なのだそうだ。いろいろとややこしい。

会見の地近くのNEC本社の敷地にもこんな石碑がある。
1867年に幕府側に焼き討ちされた

NECの敷地にある薩摩屋敷跡の碑

NECの敷地全体が薩摩三田屋敷かと思ったら、そうではないようだ。今の北の一角だったらしい。

【関連記事】
芝から渋谷へ! 江戸の薩摩屋敷跡を歩く

こちらにも西郷吉之助書とあるが、これも孫で参議院議員でもあった西郷吉之助の書だ。この碑ができたのは1991年。

さて、ここから東京駅方向へ歩く。増上寺の脇を通り、東京タワーを見ながら北へ。きょうのランチは鹿児島料理のお店。こちら。
ランチは11:00~15:00undefined無休

かのや萩原 千代田区丸の内2-7-3 東京ビルTOKIA B1F

西郷隆盛は豚肉が好きだったとか。豚肉の料理は残念ながら売り切れ。チキン南蛮定食をいただいた。
ご飯とさつま汁はおかわり自由

チキン南蛮定食 鹿児島名物のさつま汁がいただける

さつま汁という鹿児島のお味噌汁。人参やゴボウなど野菜がたっぷり。ご飯もさつま汁もおかわり自由だそうだけれど、最初から量が多いので、おかわりできなかった。それにしてもさつま汁、おいしかった。

西郷が無血開城させた江戸城、今の皇居外苑を見ながら。日本橋方向へ向かう。

東京駅から日本橋、人形町を経て、上野へ

明治維新後、西郷隆盛は2年ほど東京に住んでいた。西郷が東京にいた1872年(明治5年)に日本橋は橋の架け替えをしている。そのときはまだ木造の橋だった。その後、1911年(明治44年) 現在の石造二重アーチの日本橋が架設された。
日本国道路元標は道の真ん中にある

日本国道路元標がある日本橋

人形町方向へ歩き、日本橋小学校前に中央区教育委員会がの説明板があった。
書生15人、下男7人、猟犬を数頭飼っていた

西郷隆盛が1871年(明治4年)から2年間住んだ屋敷跡

戊辰戦争が終わり、西郷隆盛は薩摩に帰ってのんびりとした生活を送っていたが、新政府からは上京して参議になってくれと頼まれて1871年(明治4年)に上京し、ここに2年ほど住んだ。

人形町の甘酒横丁へやってきたら、「甘酒売っているんですか?」とハイテンションのM美さん。お豆腐や甘酒のお店「双葉」で甘酒を購入。
2F、3Fで豆腐料理を提供している

豆腐料理 双葉 人形町 中央区日本橋人形町2-4-9 人形町双葉ビル 

せっかく人形町まで来たので、たい焼きの御三家とも言われる有名なたい焼きでも買おうかと柳屋さん。相変わらずの行列。あ、でも、この日は暑いので、アイス最中。
アイス最中はバニラと小倉があり、いずれも160円

柳屋 中央区日本橋人形町2-11-3

アイス最中はけっこう硬め、甘さ控えめで歩きながらいただくのにちょうどいい。

こちらの散歩ではたい焼きを購入。
街道の起点、日本橋~品川 鯛焼きの散歩3 (全文) [散歩] All About

人形町から小伝馬町、秋葉原を通り過ぎて、上野公園。上野公園へ入るとすぐにこの壁泉がある。

【関連記事】
パンダのシャンシャンで盛り上がる街上野でご朱印散歩
上野戦争でも激戦が行われた黒門

かつてこの地にあった黒門の姿を表現している

江戸城は無血開城されたけれど、不満に思う武士たちが上野の寛永寺に立てこもった。攻める新政府軍の指揮をとったのが長州藩の大村益次郎。その布陣図には黒門口に薩摩兵が予定されていた。西郷隆盛は大村に「薩摩を皆殺しにさせるのですか」と聞く。大村は「そうです」と答えたというエピソードもある。

除幕式で糸子夫人がショックを受けたというエピソードもある

1898年(明治31)に建立された西郷隆盛像

西南戦争で自害をした西郷隆盛の銅像が建てられたのは1898年(明治31年)。亡くなってから21年後だ。除幕式に呼ばれた糸子夫人が夫はこんな人じゃないというのは有名なエピソードだ。

連れている犬は薩摩犬、名前は「ツン」。もちろんツンも銅像をつくるときは、この世にはいなかった。それで、同じ薩摩犬を探して、それをモデルにしたそうだ。

しかし、そこにはまた大きな間違いがあった。ツンは雌だが、モデルは雄だった。なので、銅像の犬は雄になってしまった。

というわけで、お散歩、終了。日差しも強く、けっこう疲れた。

西郷隆盛を辿る散歩ルート



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