自臭症とは?
実際には体臭や口臭はないのに、自分では体臭や口臭があると思い込んで悩んでいる人が増えています。これは、自臭症(自己臭症または自己臭恐怖症)とも言われるもので、バーチャル体臭・口臭とも言えます。自臭症は、一種の神経症であり、対人恐怖症の一つの現れです。この背景には、過度の衛生概念の広がりと日本の歴史的・文化的背景が関係しています。電車のつり革が握れない?
日本では、戦後の教育を通して、衛生概念が普及したことにより、感染症による疾病は大変少なくなりました。しかし最近では、衛生概念が過度になった事例も少なくありません。衛生神経症とでも言えそうな、細菌やウィルスに対する過度な心配症です。例えば、
- 電車のつり革を素手で握れない
- 不特定多数の人が触るドアノブを触れない
- レストランなどで使いまわされる箸が使えない
- 公共のトイレの便座に座れない
高い衛生環境で育った現代の日本人は、悪臭に対して過度に反応することが多く、他人の臭いだけではなく、自分の体臭や口臭を過度に気にする人が多いのです。
これに拍車をかけているのが、抗菌市場と消臭市場です。各メーカーは「抗菌効果」「抗菌処理」をうたった製品や、「消臭効果」「脱臭作用」をうたった製品を次々と市場に投入し、市場を作り出しました。さらに市場を加速させたのが、ノロウィルスやO157などの流行です。確かに、基本的な衛生概念は重要ですが、行き過ぎてしまうと、反って生活に支障をきたします。
私たちが生きる環境には、様々な菌やウィルスがいて、人間と共存しています。その中には、有害なものもありますが、数が少なければ、人間が本来持っている免疫システムが排除するため、何の心配もありません。過度に、環境に存在する菌やウィルスを心配するよりも、常に体調管理に気を配り、免疫状態を良好に保つことがよほど有効です。
また、生き物として生きている以上、誰でも生理的な臭いはあるものです。これを過度に気にすることや否定することは、生きていること自体を否定することになりかねません。
ばい菌帝国の逆襲?
上記でも記載しましたが、最近では何にでも「抗菌」とうたい、求める方が多いようです。もちろん、ある程度のデータに基づいて、「抗菌」をうたっているわけですが、これが実際に感染予防に役立っているのかは不明です。「安全」をもとめているというよりも、「安心」を求めているのかもしれません。しかし、抗菌剤の濫用は、私たちの生活環境に「薬物耐性菌」を作り、やがて抗菌剤が効かない菌を作りかねないという点で大きな問題です。これは、日本の医療現場での抗生物質の濫用や多用により、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)やバンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌(VRSA)を生み出してしまったことと同じ原理です(参考「薬剤耐性」)。
実際の感染予防効果がどれほどあるかわからないまま、抗菌剤を制限なく製品に使い続けると、いつの日か、どんな抗菌剤も効かない耐性菌が世の中に蔓延してしまうかもしれません。そうなってしまったら、もう手の施しようがありません。つまり、あまり必要ないのに、ブームや雰囲気でばい菌を過度に駆除しすぎると、やがて「ばい菌帝国の逆襲」に合うかもしれないのです。
欧米では体臭は個性のひとつ?
この行き過ぎた衛生概念の広がりと並行して増加したのが、臭いに対する潔癖症です。もともと体臭が少ない民族である日本人は、欧米人やその他の外国人に比べて、体臭に対する耐性や許容力がなく、体臭がある人に対して嫌悪感を持ち、排除する傾向があります。社会問題化しているいじめでも、「キタナイ」、「クサイ」というのがいじめの常套句になってしまっているようです。先進国の中でも、日本は特に神経質なようです。数年前から日本に住んでいる米国人の友人は、日本人は米国人に比べて体臭に神経質過ぎるので驚いたといいます。米国では、色々な人種と色々な文化が共存しており、また様々な臭いが存在し共存しています。
体臭もその一部であり、悪臭というよりは一種の個性と捉える傾向が強いようです。このため、香水やオーデコロンを使う文化が発達し、自分の体臭に合う香水やオーデコロンを選び、個性を際立たせる術を心得ている人も多いそうです。
バーチャル体臭「自臭症」とは
この臭いに対する嫌悪感が極端になってしまったのが「自臭症」という一種の神経症です(参考:「精神科医からみた自臭症<前編>「自臭症を知る」編」)。人間は、誰でも生理的口臭や体臭を持っていますし、歯を磨かなかったり、風呂にも入らなかったりすれば、臭くなります。普通の人は、一定の許容範囲の中で対応しています。しかし、自臭症の人は、特に強い口臭や体臭があるわけでもないのに、過去の経験がきっかけで、自分には強い口臭があるとか、強い体臭があると思い込んでしまうのです。実際には違うのに、自分の口臭を臭いと感じ、自分で自分の体臭を臭いと感じるといいます。
極端な例では、
- 自分が部屋の窓を開けると、向かいの家の人が窓をピシャリと閉める。これは自分の口臭が強いためだ。
- 自分が電車の席に座ると、何となく自分の周りから人が離れていく。これは自分の体臭が強いためだ。
そもそも人間は、自分の口臭や体臭には鼻が慣れてしまって気が付かないものです。他人にしかめっ面をされて初めて、「ヤバい!夕べ餃子を食べたのを忘れていた!」と気が付くのが普通です。
匂いの文化的側面
自臭症とは、病名ではなく、一種の状態や症状を表すものです。世の中には、自分の臭いに全く無神経な人から、自臭症といわれる人まで色々な人がいます。臭いは体の状態に密接に関係しており、病気にも独特の臭いがあるとされています。例えば、がんにも独特の臭いがあり、訓練された犬はこれを嗅ぎ分けることができます。今の検査技術では発見できない初期のがんを発見できる可能性が高いということで、がんの早期発見に応用する研究が進んでいます(日本経済新聞2017年10月16日号「がん早期発見『犬診』始まる」)。
また、臭いに対する感性は、それぞれの民族・人種の文化的背景も大きく影響しています。その昔、初めて西欧人に接した日本人は、欧米人を「チーズ臭い」「バター臭い」と感じることがあったといいますし、初めて日本を訪れた欧米人は、日本人を「味噌臭い」「醤油臭い」と感じることもあったといいます。もっとも、日本の食卓もすっかり欧米化していますし、日本食も世界中で大人気となった今では、そのようなことはないかもしれません。
多様性を受け入れる社会へ
日本人が体臭を極端に嫌う文化的な背景には、世界的に珍しい日本の「ムラ文化」があるかもしれません。弥生時代、稲作文化が朝鮮半島から入って来て、それまでの採集・狩猟を中心とした縄文文化を駆逐。稲作が次第に日本列島に広がりますが、狭い平地に水田を作り、効率よく収穫をあげるには、村人の強い協調関係が必要でした。このため、日本の農村部では、普通の人と価値観が違う人・協調性がない人は「村八分」にされ、排除されました。このような伝統的な村の価値観や文化は、民俗学的に「ムラ文化」と呼ばれています。また、一糸乱れぬ統率が必要だったため、「長いものには巻かれろ」という価値観も生まれたようです。このような歴史的・文化的背景のもと、少しでも人と変わった人を組織から排除するという風習が生まれたのかもしれません。
自臭症は、潔癖症の人が陥り易い症状であり、強迫神経症気質の人が陥り易い症状でもありますが、根底に歴史的・文化的背景をもとにした、均一性への志向があるのかもしれません。
「多少の臭いは生物である以上当然である」という許容の心を持つことが大切です。これは、国際化のために多様性が求められる現代において、ある程度のイレギュラーは、それぞれの個性として大きな心で受け入れるという感性が、求められているのではないでしょうか(参考:精神科医から見た自臭症<後編>「治療へのアプローチ」編)。
口臭チェッカーや体臭チェッカーの利用
自臭症の人は、医師から臭いがないと言われても、なかなか受け入れることができません。自臭症の診断・治療は、本来は精神科の領域なのですが、本人が口臭や体臭があると信じている以上、最初から精神科を受診するということは少ないでしょう。歯科、口腔外科、皮膚科、内科などを受診し、精神科受診を進められるというケースが多いかもしれません。自臭症は、一種の対人恐怖症と考えられるので、口臭チェッカー、体臭チェッカーなどを使い、自分が口臭や体臭が特に強いわけではないことを確認し、自信を持つことが良いかもしれません(参考:タニタ「エチケットチェッカー」他、コニカミノルタ「Kunkun body」)。また何よりも、あまりストイックにならず、少しばかりの他人の臭いを許容し、自分の臭いも許容する、ゆとりある心が大切なのかもしれません。
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