現代人の「ぜいたく病」からくる不満であることも
「貧困」という言葉を頻繁に目します。世代も拡大され、子どもの貧困、老後の貧困などのニュースもよく流れます。そしてテレビなどでのインタビューでは、「お金がなくて苦しい」という。確かに半分はその通りなのかもしれませんが、半分は現代人のぜいたく病からくる不満ではないかと感じることがあります。
たとえば私の例で恐縮ですが、学生時代は仕送りがなかったため、奨学金とバイトで学費と生活費を賄いました。
バイトは新聞配達で、月の収入は7万円ほど。1日500円での生活でしたが、特に苦しいとは感じず、そういうものという感じでした。
借りていた長屋風のアパートはフロなし・トイレ共同だったので、大学の体育館にあるシャワーをこっそり使ったりしました。食費を浮かせるため学食でふりかけやソースを拝借するのは日常で、限られたバイト収入の中で生活するには当然だと思っていました。(もっとも、コンプレックスは蓄積していたようで、現在マネーに関する情報発信をしているのは、その頃の反動なのかもしれません)
また、現在40代以上の人は経験があると思いますが、子どもの頃はエアコンも携帯電話もなく、それを不便だと感じたことはなかったでしょう。それが当たり前だったからです。学校に行ってもエアコンはなく、夏は「あちい~」、冬は「さぶ~」などとぼやきながら授業を受けていたはず。
しかし現在、真夏や真冬にエアコンがなければ、「エアコンないと死んじゃう」と不満を感じるし(多少は温暖化の影響もあり熱中症などを防ぐためにも必要ですが)、「苦しいなら携帯電話を解約すれば?」と言われたら、「それは無理」と感じるでしょう。
「みんなも同じ出費をしている」から発想を切りかえる
お金も同様に、便利さに慣れてぜいたく病に冒されれば、買えない状況やがまんしなければならない状況に不満を感じます。生きていくには確かにお金がかかりますが、携帯代にしろ子供の塾の費用にしろ、「お金がかかって当たり前」「みんなも同じ出費をしている」「しょうがない」「そういうもの」と考えている以上は、際限なく出費が増えてしまいます。また、世の中はより便利で快適になっていますが、本当はたいして必要でないものも、企業の経営努力やマーケティングによる訴求によって、必要だと思わされていることもあります。たとえばアイフォンの新機種を普通に買うと数万しますが、本当にそこまでの性能が必要なのか……。
そういえば先日、新車ディーラーに行って軽自動車の試乗したときことです。最近の軽の装備は充実していて、キーレスエントリーにプッシュ式エンジンスタート、車速感応式オートドアロック、雨滴検知オートワイパー、自動ハイビーム、安全支援ブレーキなどなど、登録車顔負けの快適機能満載です。そしてフル装備で見積もりをとったら総額およそ180万円。
ここで冷静に自分の生活スタイルを振り返ってみる。自宅は駅から近いし、仕事は都内に電車で行くし、買い物はほぼネット通販で店には行かない。車を使うのは、ほんのちょっとした外出のみ。確かに毎日使うけれども、走行距離にして1日10キロに満たない。たまに物件の視察などで遠出する程度。燃費が違うとはいえ、価格差をガソリン代で賄うのは何万キロもかかる。
これは単に価値観の問題なのかもしれませんが、その程度しか乗らないので高機能さは不要と考え、結局8年落ちの中古車を約20万円で購入。浮いた160万円は別のことに使える。
ほかにも、自分の家を建てたとき、標準工事の中にカラーモニター付きインターフォンが入っていました。子機もついている高機能商品で、工事費込みの標準価格は5万円ほど。工務店からは「今はみなこれが普通ですよ」と言われましたが、私はこれを見積もりから外し、子機のついていない廉価版に差し替えてもらいました。価格は工事費込みで1万5千円なので、3万5千円のコストダウン。
そもそも、自宅にそれほど頻繁に見知らぬ来客があるわけではない。あってもたいてい知った顔ぶれです。宅配便や郵便局の配達員も顔なじみ。たまに打ち合わせで初めての人が来るくらい。2階建てではなくフラットな家なので、わざわざ子機を持って顔を確認するほどではない。
つまりわが家にとってはオーバースペックであり、その価格以上に得られるものはない。
というものがたくさんあるな、と感じます。
両親に戦後のことを聞くと、焼け野原の中でとにかく必死で働くしかなかったと言っていました。周りもみな同じ状態でしたから、誰もそれをおかしいとも思わなかったのでしょう。かといってその頃に戻りたいとは思いませんが、貧乏で苦しいという不満は、便利さに慣れて「それが普通」になり、それ以下の状態が我慢できないからという可能性があります。
もちろん「お金がなくて苦しい」という不満が、「もっと稼ごう」というモチベーションにつながるなら問題ありません。しかしただ嘆くだけではなく、案外なくても困らないものにお金を使っていないか、振り返ってみる機会も必要ではないでしょうか。
参考文献)「33歳で資産3億つくった僕が43歳であえて貯金ゼロにした理由」(日本経済新聞出版社)