五輪をきっかけに東京の景色は大きく変わった
1964年(昭和39年)の東京五輪を境に、東京の街は大きく変わったと言われている。僕は当時、東京にいなかったので、リアルではわからないけれど、変わった風景の代表としてよく言われるのが、日本橋の高速道路だろうか。橋の上に覆いかぶさるようにつくられた高速道路のおかげで、空が失われてしまった。そして2020年に開催される東京五輪に向けて東京の街は再び大きく変わろうとしている。前回同様に消失してしまう風景も多数あるだろう。そんな風景を散歩しながら記録していこうと思う。
千住という街の成り立ちと、変わった景色、変わらない景色
第一回は北千住を選んでみた。千住一丁目にあったスーパーを建て替えるのを発端に大規模施なビルが建つようだ。というわけで、2017年4月7日にうかがった。失われるだろう景色を見に来たのに、すでにその景色はフェンスで囲まれ、建物の取り壊しなどが行われていた。もう失われていたのだ。
とはいえ、千住の他の地域もいずれは失われるだろう。周辺を丹念に歩いてみた。
駅は北千住という名前がつけられているけれど、北千住という住所はない。駅の西口に広がるのは、南から北に千住1丁目から4丁目へと数字が増えている。
その真ん中を貫いているのが、かつての日光街道で、現在は本町センター商店街、宿場町通りという2つの商店街になっている。人通りはとても多く、活気のある商店街だ。
驚くのは、この商店街の道幅は、江戸時代のままだということだ。五間(約9メートル)の幅をずっと保っているのだ。
宿場町通りにある『お休み処 千住街の駅』へ寄ってみた。北千住の街を散策するならぜひ寄っておきたい場所だ。イラストマップなどもあるし、座る場所もある。また、町で買ったものを食べてもいいんだそうだ。ただし、開いているのは9時~17時、定休日は月曜日と火曜日。祭日の場合はオープンするのだそうだ。
もともとこの場所は魚屋さんだったそうで、その名残りとして備え付けられた冷蔵庫などもそのままになっている。ただし、今、冷蔵庫は洋服ダンスになっているのだが、ずいぶん大きなもので、大人が10人くらいは入れるそうだ。
ここで聞いた話をご紹介しよう。まず千住という町名の由来。てっきり、人が多く住んでいるという意味の千住かと思ったら、荒川で網にかかった千手観音が由来なんだとか。だからもともとは、千手という表記だったらしい。もちろん、諸説あるらしいのだけれど、なんだかこの説が有力のような気がする。
北千住といえば足立区の南部に位置しているのだけれど、その足立の由来を聞いてみた、これがなかなかおもしろい。もともと足立区は荒川が運んできた土砂が堆積してできた土地なんだそうだ。かつては、湿地帯で葦(アシ)がたくさん立っていたことから足立という名前がつけられたのだそうだ。もちろん、こちらも諸説ある。
そんな葦が生えている湿地帯がなぜ大きな町になったのかといえば、徳川家康が祀られた日光東照宮への道を整備した江戸幕府が、日光街道の最初の宿場町をここにつくったからだそうだ。そういう意味では、自然発生でできた町ではなく、幕府によって整備された町だ。
千住は、板橋、内藤新宿、品川とともに江戸四宿のひとつで、とくに幕府が整備した場所なのだそうだ。また、水戸街道、奥州街道なども千住宿が江戸からひとつ目の宿場にになっている。
交通の要衝ということでいえば、今も同じだ。旧街道の西側に太い日光街道が走っている。JR常磐線、地下鉄千代田線、地下鉄日比谷線、東武伊勢崎線、京成本線、つくばエクスプレスが北千住駅に乗り入れている。
町そのものが博物館のような北千住
お休み処を後にして、さらに宿場町通りをいけば、『ほんちょう公園』がある。この公園は、まさに北千住という町を象徴しているように思える。いろいろな要素が混然一体になっている。一見まとまりのないように思えるのだけれど、妙に落ち着く公園だ。北千住にはおいしいお団子屋さんやらパン屋さんなどが多くあり、何度かそれらを買って石の椅子に座っていただいたことがある。
宿場町通りに面した入り口には、マップがあり、これを見れば、どこをどう散歩すればいいかがよくわかる。その先に石に隠れる小さな男の子の像がある。男の子は全裸だ。脇には千住宿の説明板があった宿場町の木戸のようなものがあって、歴史気分を盛り上げてくれる。
遊具も豊富。メインはタコの滑り台。休日などは小さな子供から小学生くらいまでいろいろな年齢の子供たちが遊んでいる。さらにユニークな遊具がいくつかあり、公園の逆側まで行けば、蔵をイメージしたような外観のお手洗いがある。
そういえばいっとき、北千住は蔵の町というので、蔵を巡る散歩がずいぶん流行った。ほんちょう公園からさらに宿場町通りを北へ行けば、名倉医院という今も現役の病院がある。ここにも立派な蔵がある。また、蔵を改装して喫茶店にしているお店もあったりする。
ほんちょう公園内に『千住三丁目地区地区計画』という案内板があった。足立区は街の風景をきちんと残すように建築などに一定のルールを作っているようだ。
カツカレーを探してさまよい歩く
本稿ではプロデューサーのOくんのことにふれなかったけれど、今回も同行してもらっている。Oくんと歩くときは、彼の好物であるカツカレーをいただくことにしているので、今回もそうすることにした。普通なら、『北千住 カツカレー』で検索すればいいのだけれど、それじゃ楽しくない。まずうかがったのは、町中華。ほんちょう公園から、少し歩いたところにある『美富士』というお店。中華だけれど洋食メニューもあって、カツカレーがあることも確認済だ。しかし、シャッターが閉まり、「もうしばらく休みます」という貼り紙がされていた。ずっとお休みしているのか、心配だなぁ。こういうことって、町中華ではよくあるんだよねぇ。
再び千住一丁目方向へ歩いてみる。一丁目、二丁目界隈は細かい路地がたくさんある。いずれこれらの路地も再開発に飲み込まれていくのだろう。
喫茶店や洋食屋さんっぽお店を見つけるもカツカレーはなさそうだ。そうだ、足立市場にある『カフェ食堂みどり』にカツカレーがあったはずだと向かってみる。東京芸術大学の千住キャンパス、千住仲町公園の桜がきれいだ。急いだけれど、時刻は午後2時。お店はちょうど閉めたところだ。
「さっき宿場町通りにあったゴーゴーカレーにしますか」とOくん。そうしようと、国道4号線を歩くと、“創作オムライスと昔ながらの洋食”と書かれた看板が目に入ってきた。ここなら、カツカレーあるだろう。そう思って入店。店名は『キッチンエッグス』というらしい。
「カツカレーありますか?」と聞けば、分厚いカツにオムライスにカレーソースをかけたのがあるそうだ。じゃ、それをもらいましょう。
いやぁ、食べ応えがある。全部食べられるかなと思ったけど、おいしくて完食。しかし、腹がはちきれそうだ。
荒川土手で見つけた、足立区の原風景
「腹ごなしに『3年B組金八先生』のロケ地になったという荒川土手に行ってみましょうか」とOくん。宿場町通りをまっすぐ行けば、すぐに土手がある。これまでの路地とは違い、雄大な荒川に広い空。本当に北千住は多彩だねぇ、なんて思いながら歩いていると、河原に葦があった。足立区の原風景がここにあるのかというような気持になった。どこまで歩いてもなかなかお腹が減らない。この日は、千住大橋を渡り、南千住から鶯谷まで歩いた。「股関節がいたくなりました」と長い距離を歩いたときに出るOくんのセリフを久しぶりに聞いた。