ニューリッチへの道/ニューリッチへの道

「できる人材」になるためのお金持ちお仕事術

昨今、長時間労働を防ごうという取り組みが、かえってサービス残業せざるを得ない人を生み出しそうな気配です。

午堂 登紀雄

執筆者:午堂 登紀雄

ニューリッチへの道ガイド

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「お金があったら働かない」というのは貧乏な人の発想

お金があっても働くのがお金持ちの発想

お金があっても楽しく働きたいのがお金持ち体質

富裕層はほぼ例外なく仕事を楽しんでいます。「お金があったら働かない」というのは貧乏な人の発想であり、いかに仕事に没頭できるかが自分の能力を開花させ、収入を伸ばす原動力になります。しかし昨今、ホワイトな労働環境を整備しようという取り組みが、かえってサービス残業せざるを得ない人を生み出しそうな気配です。

厚生労働省は違法な長時間労働があった大企業に対し、行政指導段階での企業名の公表基準を引き下げる(月100時間超の違法な長時間労働を、月80時間超に)ことなどを盛り込んだ対策を公表しました。もちろん、企業からの不当な残業の強制や圧力から労働者を守る仕組みが作られるのは結構なことです。労災や過労死を防ぐ諸制度の整備は、とても重要な取り組みです。

しかし問題は、仕事に対して単なる時間の切り売りではなく、「自分の実力を高める」ために働いている人にまで同じ働き方を強いることにあります。たとえば「仕事がおもしろくて仕方がない」という人は「新しいことに挑戦する」「無我夢中で取り組む」という働き方になり、そこに時間という概念が入り込まないことがあります。

私もかつては「気づいたらもう終電の時間だった」「まだやりたいのに人事部に怒られる」「自分の分身がいればいいのに」「残業代なんていらないからもっとやらせてよ」と感じることはよくありました。こういう、いわゆる「ゾーンに入った」的な働き方をしていると、会社が勝手に定めた「就業時間」、国が勝手に定めた「労働基準法」などという枠組みは、むしろ邪魔になります。

誤解のないように申し添えておくと、これを真似しろとか、長時間労働を美化するとか、法令違反をしてもいいということではありません。行政や企業に対してモノ申したいということではなく、前述の制度を否定するわけでもなく、一人の労働者として「自分の働き方」をどう考えるかという問題です。つまり働き方改革を他人(企業や行政)にしてもらおうと依存するのか、あるいは自己責任において望ましい未来に向けて自ら改革するのかという問題です。
 

やりがいを見いだせない仕事は残業が少なくても体調不良に

単なる労働装置の一人としてイヤイヤ会社に行っているとか、あるいは生活費を稼ぐためだけに働いているのなら、短時間労働のほうが望ましいでしょう。やりがいを見いだせない仕事をしていれば、仮に残業が少なくても体調が悪くなることもあります。子育てや介護といった事情がある人も、残業はできるだけ避けたいものです。(今の私はこちらです)

しかしたとえば今、もし自分が下流層と呼ばれる賃金水準にいて、もっと稼げる人間になりたいと思ったとき、みなと同じ働き方で成し得るのでしょうか。ホワイトカラーエグゼンプション制度も検討されているようですが、すでに高度なスキルを持っているプロフェッショナル人材が対象のようで、これから成長したい人は対象外です。

あるいは仕事が楽しくて楽しくて仕方ないのに、「これをやれば会社がもっと良くなるはずだ」という確信があるのに、「オレがこの会社を変えてやる」と使命感に燃えているのに、途中でやめて会社を出ないといけないというのは、本当に自分や会社の、ひいては日本のためになるのかどうか。むしろやる気のある人材の頭を押さえ込む可能性もあるわけです。

以前、私や私の妻がテレビ番組に出演していたときのことです。前の収録が伸びることは日常茶飯事で、待ち時間も長い。スタジオにはたくさんのスタッフがいますが、ほぼ全員朝から深夜まで働いていました。取材のときも、スタッフはどんなに距離が遠くても車を走らせるし、もういいんじゃないかとこちらが思っても、何度も撮り直しをしたり、休日にも確認の電話がかかってきたり、やはり休日との境目がない印象でした。

しかし彼らから不平不満や、疲れた、面倒くさいなどという言葉を聞いたことはありません。みな本当に楽しそうで、ひとえに「良い番組を作りたい」という純粋な気持ちで取り組んでいるんだなと感じました。

もちろんいつもそうではないかもしれないし、そうでない人もいるのでしょうが、そういう人は途中で辞めていくのでしょう。少なくとも私たち夫婦が接してきた制作スタッフは、例外なく仕事を楽しんで充実しているようでした。そして年月が経ち、再び連絡が来たとき、彼らはディレクターやプロデューサーに昇進・昇格していました。

もちろん時間をかければ良い番組ができるとは限りませんから、テレビ番組に限らず、仕事とは労働時間に依存するのではなく、あくまで成果やアウトプットで測られるべきです。しかし仮に「密度×時間=成果(もしくは成長)」とするなら、同じ密度なら長い時間取り組んだほうが有利とも言えます。

逆に同じ時間なら超高密度で取り組んだほうが良いわけですが、そこまで優秀な(飲み込みが速い、手際が良い、段取りがずば抜けている、人たらしの魅力があふれているなど)人は、「今の自分なのか」という問題です。

ユニクロの柳井正氏がかつて言った「できると言われている人の多くは、最初からできる人だったのではなく、できる人に自らを変えていったんだと思う」というように、できる人材にはなるべくしてなったプロセスがあるということです。私がかつて経営コンサルファームでコンサルタントとして様々なクライアント企業に出入りしていたときも、優秀な人のほうが遅くまで会社に残っていました。これではますます差が開くばかりです。

そして最初の話に戻りますが、これから突き抜けたい人、もっと実力をつけたい人、仕事が面白くて仕方ないという人は、正確な労働時間を会社に申告できなくなりそうです。タイムカードをごまかすとか、業務日報をごまかすしかありません。オフィスを追い出されるなら、仕事の資料を持ち出しカフェに行くなど、業務機密が洩れるリスクを抱えて仕事を続けるしかありません。

もう15年も前の話なので時効かと思いますが、私も一部上場企業に勤めていたころ、人事部から指摘・指導を受けて以降、勤務日報をごまかして残業扱いにしないことがよくありました。5時間残業しても、残業申告は1時間だけとか。土日に出社するときは普段着で行き、「忘れ物を取りに寄っただけ」を装う。つまりサービス残業です。

労働環境が改善するのは望ましいこと。しかし能力の劣る人がハイスペック人材になるには、あるいは仕事が趣味といえるほど没頭したい人には、サービス残業するか、年俸制の会社に転職するか、起業するしかなくなりそうです。最後に、このコラムは自分の権利や労働環境を守りたい人向けではなく、仕事で突き抜けたい人向けですので念のため。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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