江戸時代から伝わる先人の知恵
「もうはまだなり まだはもうなり」という格言は、なんと江戸時代から伝わる大投資家の言葉です。相場を知っている人なら、原文を読めば一目瞭然と思い、最後に引用しています。しかし、相場に不慣れな人には、ちょっと伝わりにくい感覚なので、まずは、季節にたとえてご説明します。
もう冬かと思ったら…
日本の一年には、春夏秋冬という四季があるわけですが、四季の境目はあいまいで、時に判断を誤ることがあります。季節の判断を誤ると、風邪をひいて病気になったり、農作物の収穫を得られずに収入を失ったり、適切な商機を逸して売上をあげ損なうことになります。たとえば、秋に季節外れの大雪が降りました。人は「もう冬が来た」と判断して、あわてて冬支度を始めます。しかし、雪のあとは、小春日和が戻り、普通の秋が続きました。「もう冬だ」と思ったのは早合点で、「まだ冬は来ていなかった」のです。
小さな変化を見逃さないで反応することは大切ですが、ニセのサインや一時的な異常気象に対応すると、それはだまされたことになります。
まだ冬かと思ったら…
逆に、春に季節外れの雪が降りました。人は、「まだ冬が続いている」と判断して、種子をまくのを延期しました。しかし、雪のあと一気に温暖になり、春が訪れました。「まだ冬だ」と思ったのは惰性的な思考で、本当は「もう春が来ていた」のです。「まだはもう」と気づくためのヒントは暦にあります。このたとえを、投資の世界に置き換えると、季節とはベアかブルか(弱気相場か強気相場か)、季節外れの雪や異常な気温は、一時的な株価や為替レートだったりします。そして、それをダマシだと気づくための材料が、チャートやテクニカル分析です。
いずれの場合も、変化を見誤る原因は、自分の中にあります。それは、固定観念をかえりみない頑固な独善、あるいは、柔軟に考えることを放棄した硬直化です。
自分を疑う勇気が必要
投資において大事な視点は、今がベアかブルかという季節判断にあります。後から見れば、それは簡単明瞭な季節変動の循環なのですが、その変化の渦中にあるときは、いろいろなダマシやブレがあるために、正しい判断は決して容易ではありません。正しい判断を邪魔しているのは自分の頭の中。だから、いつも自分の考えは間違っているのではないか、もしかしたら、自分の考えの正反対が正解なのではないかと疑ってみる勇気が必要なのです。
猛虎軒氏の『八木虎之巻』
さて、それでは、この格言の元となった原文を、読んでみましょう。その由来は、江戸時代の相場の聖書と言われた二点の書物の中にあります。一つは、猛虎軒(もうこけん)氏の遺した『八木虎之巻』(はちぼくとらのまき)。もうはまだなり、まだはもうなりといふ事あり。此の心は、たとへばもう底にて上るべきとすゝみ候時は、まだなりといふ心を今一応ひかへ見るべし。まだ底ならず下るべきと思ふ時、もうの心を考ふべし。必ずまだの心ある時より上るものなり。
意訳すると、こうなります。株価がもう大底だと思ったときには、まだ下がるのではないかと考えなさい。まだ底でなく下がると思ったときには、もう上がるのではないかと反省してみなさい。
本間宗久氏の『宗久翁秘録』
もう一つの聖書は、本間宗久氏の言葉を遺した『宗久翁秘録』(そうきゅうおうひろく)。共に、250年も前の言葉です。もうはまだなり、まだはもうなりということあり。ただし、数日もはや時分と思い取りかかり(仕掛ける)たるに、見計い悪しければ間違いになるなり。まだまだと見合わせ居るうちに遅るることあり。
こちらを意訳するとこうなります。もういいかと思って仕掛けると損をする。まだまだと待っていると仕掛けが遅れてしまう。
相場のタイミングは難しいという表面的な意味だけではなく、難しくしているのは人間の独善性なのだということを理解していただければ、幸いです。