演歌・歌謡曲/演歌・歌謡曲入門

1990年代のSMAPをふりかえる

2016年1月18日、『SMAP×SMAP』(フジテレビ)で公開されたSMAPの謝罪会見。芸能界の旧態依然さを見せつけられたような気がしてなんとも後味の悪い会見だった。SMAPに関してはいささかのこだわりがある。僕の十代はちょうどSMAPが数々の爆発的ヒット曲を生み出しながら国民的なスターにのぼりつめていく時期だったからだ。当時のSMAPと彼らの楽曲が世間にどのようなインパクトを与えていたかみなさんに解説しよう。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド

後味の悪い謝罪会見

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2016年1月18日、『SMAP×SMAP』(フジテレビ)で公開されたSMAPの謝罪会見。

デビュー初期からその飛躍を支えた飯島三智マネージャーによる独立騒動についてのお詫びということだったが、芸能界の旧態依然さを見せつけられたような気がしてなんとも後味の悪い会見だった。

現代の男性アイドル事情にはあまり興味のない僕だが、SMAPに関してはいささかのこだわりがある。

僕の十代はちょうどSMAPがデビュー初期の低迷から抜け出し、数々の爆発的ヒット曲を生み出しながら国民的なスターにのぼりつめていく時期だったからだ。

中学、高校時代、一番仲が良かった友人は男だてらに木村拓哉の大ファンで、自分の部屋に等身大パネルを置いていたっけ……。

当時、彼とは週3、4日のヘビーローテーションでカラオケ通っていたが、そこでも聴かされるのは当然SMAP。

シングル曲はもちろん、コアなアルバム曲、B面曲もだいたいわかるくらいに洗脳されてしまったのだ。

「一生、なんの役にも立たないだろう
」と思っていた知識だが、この時節にあたってそれを利用しないのはあまりにももったいない。

リアルタイムを振り返り、当時のSMAPと彼らの楽曲が世間にどのように浸透していったかをみなさんに解説することにしよう。

1993年~1994年 スターアイドルとしての萌芽

今回の解散騒動でもよく言われていることだが、1991年にデビューした当時はあまりパッとしていなかったSMAP。

そんな彼らが音楽面で注目されるようになったきっかけの曲は『$10』(1993年)だ。

シンガーソングライター林田健司の曲で、ちょうど木村拓哉がドラマ『あすなろ白書』に出演して人気急上昇していた時期と重なっていたこともあるが、妙に世知辛い歌詞と軽快なダンスミュージックのマッチ加減が若者に大きなインパクトを与えた。

僕がカラオケでよく歌う曲でもある。

それはともかく『$10』で勢いを得たSMAPは翌年に『Hey Hey おおきに毎度あり』(1994年)で初のオリコン1位を獲得。

これも全編通してアキンド風関西弁という妙な曲だが、これも意外性というか、当時、音楽にまったく興味のない小学生だった僕にとってもある程度のインパクトがあったのを記憶している。

まだ個々のメンバーが把握できるほどではないが、世間にSMAPの名前がなんとなく浸透していった。


1994年~1996年 本格的ブレイク

そしてSMAPのブレイクを決定づけるヒットになったのが『がんばりましょう』(1994年)。
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サビがアメリカのソウルグループNiteflyteの『You Are』のパクりだとか、音楽的な面白さもあるのだが、なにより秀逸なのが

「かっこいいゴールなんてさ あッとゆーまにおしまい」

という出だしの歌詞。

バブル経済の崩壊後、少し草食になりかけていた若者の気持ちを代弁し、同時に“ちょっとボサッとしているけどかっこいい”というSMAPの、従来のアイドルに無い個性を引き出したのだ。

僕はこの曲をSMAP歴代のシングルで一番の名曲と考えているが、実際この時期のSMAP=『がんばりましょう』というイメージを持たれる方は多いのではないだろうか。

以降、『たぶんオーライ』(1994年)、『KANSHAして』(1995年)、『しようよ』(1995年)、『どんないいこと』(1995年)、『はだかの王様 ~シブトク つよく~』(1996年)など立て続けにオリコン1位、2位に食い込む快進撃が続くが、たいていの歌詞がどこか漠然とした不安を抱えた若者心理を描いているのは偶然ではないだろう。

また音楽面以外でも、木村の活躍に負けじと中居正広がドラマ『味いちもんめ』(テレビ朝日)で初主演を獲得。

それなりの演技力が求められるファミリー向けの内容だったが、持ち前のキャラクターで見事演じきり、SMAPがお茶の間に受け入れられる素地を作った。

1996年~1998年 ヒット曲連発 全盛期を創出

1996年は木村拓哉が初主演ドラマ『ロングバケーション』(フジテレビ)で記録的な視聴率を獲得し、また音楽面でも『青いイナズマ』(1996年)、『SHAKE』(1996年)というインパクトの強いシングルが大ヒットするなど、SMAPにとってターニングポイントとなった一年だ。

街は茶髪のロングヘアーを後ろでくくった“キムタクまがい”の若者であふれていたし、中居正広はバラエティ、報道などさまざまなジャンルの番組に進出してテレビで目にしない日はないくらいだったし、森且行の坊主頭の電撃引退会見は日本中に轟く大ニュースになったものだ。

翌、1997年以降も山崎まさよし、スガシカオなどこれからキそうな鮮度のいいアーティストを起用しつつ『ダイナマイト』(1997年)、『セロリ』(1997年)、『Peace!』(1997年)、そして初のミリオンシングル『夜空ノムコウ』(1998年)と言った“これぞSMAP”な大ヒットを連発。

同時にこれまで今一つスポットの当たらなかった草なぎ剛がドラマ『いいひと』(1997年 フジテレビ)で主演して高視聴率をおさめたのもグループとして大きな成果だった。

1998年~2000年  国民的スターへ

『夜空ノムコウ』がヒットしすぎたのか、続く『たいせつ』(1998年)、『朝日を見に行こうよ』(1998年)はオリコン1位から外れてしまった。

挽回をはかった『Fly』(1999年)はアイドル的なイメージからはみ出したクールな曲だったが、動きを抑えた暗い演出が異様に受け取られたのかオリコン2位どまり。

稲垣吾郎が主演ドラマ『ソムリエ』(1998年 フジテレビ)でワインブーム、木村が主演ドラマ『ビューティフルライフ』(2000年 TBS)でカリスマ美容師ブームを全国に浸透させるなど、相変わらず社会的な人気を誇るSMAPではあったがシングルリリースのペースが落ち「アイドル歌手としては賞味期限が切れてきたかな?」という印象がないでもなかった。

しかしそんなタイミングでやってきたのが『慎吾ママのおはロック』(2000年)と『らいおんハート』(2000年)。

前者は香取慎吾が扮するキャラクター『慎吾ママ』によるアップテンポな企画曲で、日本中の子供に「おっはー!」という挨拶を浸透させる大ヒット。

後者は脚本家の野島伸司が手がけた、ストレートで素人臭いが非常にハートフルな歌詞がアイドルファン以外の女性層にも訴えかけたのか二度目のミリオンシングルとなったのだ。

また同時期に木村拓哉が工藤静香との結婚を発表。

賛否はあったが大スター同士の結婚、現役アイドルにも関わらずジャニーズ事務所が結婚を許したというインパクトは大きく、人気に大きく差し障ることもなかった。

僕はこの時期をもってSMAPが完全に“国民的スター”におさまったと認識している。

美空ひばりや石原裕次郎、ドリフターズ、沢田研二のように。

今後の活躍に期待

件の騒動でSMAPが解散しなかったことが良かったのか悪かったのかわからない。

しかし、一度続けていくと決めたからには奮起してこれまで以上の活躍をしていただきたいものだ。

それだけの素質が備わっていることは誰の目にも明らかなのだから。

がんばれSMAP!

 




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