見るもの全てが懐かしい
チャンアンからハロン湾に向かう。都市部を離れたところには工事中の建物がたくさんあるが、建てているのか壊しているのか一見しただけではわからない。どこか何となくユルイ。工事の足場は「竹」だ。香港やマカオもそうだが、ベトナムではどんな高い建物でも現在も竹の足場が用いられている。
ある店先では脚立に上って看板を修理していたが、その脚立がひん曲がっていて、そんなものに大丈夫なのかと心配になる。
その隣では軒下に洋服が何枚か吊り下げられているが、果たして売っているものなのか洗ったものを干しているのかもわからないほど。
何もかもがのどか。まるで失われた古き日本に帰ってきたような錯覚を受ける。
過ごす間に固定観念が訂正される
静かな農村地帯が続く。ベトナムの藁葺き帽子「ノンラー」を被った人々が作業をしている姿を見ていて、ここがかつて戦場となったことを思い出した。
「ベトナム戦争」のことだが、その呼び名に突然、違和感を持った。この土地にアメリカ軍が攻め入ってきたのがいわゆるベトナム戦争だが、それをベトナムの人たちが「ベトナム戦争」と、自分たちの国の名で呼ぶわけがないと思ったのだ。
現地のガイドに尋ねると、やはりそれはあくまで西側の使っている呼び名であり、現地では「対アメリカ戦争」または「抗米戦争」という名前であると教えられた。
“海の桂林”ハロン湾
ハロン湾は1994年に世界遺産に登録されたベトナムで最も代表的な景勝地。2000を越える大小様々な奇岩が海面から突き出ている様子は圧巻の一言。中国の「桂林」を思い起こさせる。
ハロン湾の観光はクルーズ船で行う。TUAN CHAU(トゥアン チャウ)港からオウコー号に乗る。船内はまるでホテル。揺れもほとんど感じず、部屋にいる時は船であることを忘れてしまう。
オウコー号(https://www.aucocruises.com/)は2泊3日のスケジュールで航行され、乗客はオーストラリア、アメリカからをはじめ、シンガポール等のアジアの国からの人たち。日本人客も約10~15%ほど。
他に1泊2日コースで航行するバーヤ号もあるが、ハノイからせっかく4時間ほどかけてやって来るのだから、やはりオウコー号でゆったりとクルーズするのがオススメだ。
ブンビェン水上村では現在もタイとスズキ漁を行っている。昔は舟のまま暮らしていたが、今はタンクなどの上に家を乗せている。
体験型の観光はとくに記憶に残る。
ベトナム戦争時には防空壕として使われたという。
スンソットとは「びっくり」という意味。こちらではライトアップが好まれている。
この頃になると乗客はみなうち解けあっている。
ハロン湾一帯が薄紫からピンク色に変わり、ひんやりしていた空気が暖められていく。
クルーズ船の旅は他国から来た乗客らとの2泊3日のいわば共同生活だ。一緒に行動するうち、知らなかった人たちがお互いに仲良くなり、やがてグループの垣根を越えて過ごすことになる。そして旅の終わりにはみなが手を取り合って別れを惜しみ、また会えるかどうかわからなくても「また会おう」と約束する。
これらはただ観光地を巡ることでは味わえない船旅ならではの醍醐味だ。
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