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覆面レスラー物語3:マスカラスは不老のアイドル

きたる12月1日、東京・後楽園ホールでミル・マスカラスが1年ぶりに日本で試合をします。「正体不明の覆面レスラーには年齢はない」と言われますが、初来日は44年前の1971年2月。すでに73歳になりながらも永遠のスーパーアイドルであり続ける仮面貴族の正体とは?

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

プロレスガイド

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昨年12月に来日した時のマスカラスの雄姿

初来日の3年も前から注目の的に!覆面レスラーのイメージを覆す

かつて正体不明の覆面レスラーはヒール(悪玉)というのが常識でした。日本に住み、コメディ・タレントとしても人気を博したザ・デストロイヤーでさえ当初は力道山やジャイアント馬場を血ダルマにする”白覆面の魔王”として恐れられたのです。

そんな覆面レスラーのイメージを変えたのが1971年2月に初来日したミル・マスカラスです。日本のファンがマスカラスに注目し始めたのは初来日より3年も前の68年。本国メキシコから米国ロサンゼルスに進出したマスカラスの売りはミル・マスカラス(スペイン語で千の顔を持つ男)のリングネームの通りにマスクとコスチュームを毎試合変えること、そしてメキシコのプロレス=ルチャ・リブレの華麗な空中殺法でした。

現在のように簡単に動画を入手できる時代ではなかっただけに、ファンは写真の静止画像を頼りに想像力を膨らませました。毎試合変わるゴージャスなマスクとコスチュームに目を奪われ、日本ではまだ誰も使っていなかったフライング・クロスアタックの写真に「この技はどうやって決めるのだろう?」と日本のファンは胸をときめかせ、たちまち「呼んでほしいレスラー」の第1位になったのです。

初来日したマスカラスは期待以上のファイトを披露しました。ドロップキックを連発し、フライング・クロスアタックを初公開、そしてフィニッシュ技のコーナー最上段から体を弓なりに反らせて相手にアタックするダイビング・ボディアタックは、人間が空を飛ぶという夢を体現するものでした。


64年の東京五輪代表候補から千の顔を持つ男に

メキシコからアメリカ、日本と活躍の場を広げ、いずれも成功を収めたのは、マスカラスにしっかりしたバックボーンがあったからです。メキシコのサンルイスポトシで生まれたマスカラスの本名はアロン・ロドリゲス。子供の頃から運動能力に優れ、水泳選手を経てボディビルに熱中し、ミスター・サンルイスポトシになりました。そしてボディビルの奨学金でメキシコシティの大学に進学した後はミスター・メキシコに。さらにレスリングでも才能を発揮して64年の東京五輪代表選手に選ばれているのです。

しかしマスカラスは五輪出場を辞退してプロの道に進みました。試合ごとにマスクを変えるというのはマスカラスをスカウトしたプロレス専門誌の編集長が考えた戦略でした。学生時代に美術部に所属していたマスカラスは、デビュー前に10枚のマスクを自らデザイン。つまり千の顔は10枚からスタートしたのです。そしてロサンゼルスに進出した時は30枚のマスクを用意していったといいます。
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