「今、芸術が民主主義的すぎる」
大:最近、アファナシエフさんは、ライヴ・レコーディングが多かったですが、今回は久し振りのスタジオ・レコーディングですね。ア:今回はスタジオとライヴの中間のような録り方だったんですよ。細かくたくさん録音して全部パズルみたいに繋ぎ合わせていったわけではありません。ほとんどがコンサートのように一気に弾いています。ただし、緩徐楽章は、例えば『月光』の第一楽章なんていうのは大変に難しいのです。ですから、そこは納得いくまで弾き直した、というところもありました。録音は2日で行いましたが、実質の時間は1日みたいな感じでした。
大:今回、ステレオ録音にした理由は何ですか?
ア:リヒテルも言っているのですが「状況・環境を鑑みて物事を判断しなければならない」。ちょうどレコーディングができる環境が整っていたのでスタジオレコーディングをすることにしたのです。
大:趣味が多様化し、音楽も多様なジャンルがある中、クラシックを演奏する意味はありますか?
ア:マイケル・ジャクソンが死去したとき、ニューヨーク・タイムズ、ガーディアンなど、各国の記事を読みました。その中の多くで「後の時代にバッハ、ベートーヴェンなどと並ぶ音楽家として名を残すだろう」という書き方がされていたので、彼の音楽を全部聴きました。ダンスは非常に卓越したものがあると思ったし、人々が惹かれるのは分かると思ったのですが、バッハやベートーヴェンに並ぶかということに関しては疑問に思えました。
芸術に高い低いはないと思いますが、世の態度が民主主義的すぎると思うことがあります。「平等でなければならない」「差別してはいけない」「誰でも何でもOKだ」という風潮が今の世の中にはあります。それは権利や政治的な側面では良いことかもしれません。しかし、芸術をそれと同じレベルで扱ってはいけないと私は思います。音楽に限らず芸術全般ですね。
古くから続く芸術には、その後ろに長い歴史と伝統と、そしてそれを支えるためにやってこられた知識、役割というのがある、極めて高い価値を持つものであるはずなんです。ですからそうした「芸術」というものは、学者やプロフェッショナルな人たちにもっときちんと守られるべきものだと思っています。ちゃんと勉強して知識・見識ある人が批評・保護すべきで、自由・民主主義という名のもとに芸術は何でもありにされてはいけないと思うのです。
私のアプローチというのも、自分が一生懸命に勉強し、様々な経験も重ね培ってきた結果です。
大:無条件に好きなものは何です?
ア:うぅん、なんだろうなぁ……?
大:猫を飼っていて、とても可愛がっていると聞きますよ。
ア:あぁ、まさしく! 彼は僕の人生だよ(笑)。
大:では、無条件に嫌いなものは?
ア:バカなヤツだよ!(笑)
ということで、音楽の孤高の鬼才の印象からは全くかけ離れた、とても親しみやすく気さくで、話好きで笑顔の素敵なアファナシエフ氏でした。奇を衒った演奏をしよう、というのではなく、真摯な目で追求すると、慣習から離れたピュアな音楽が生まれた、という。大きなメッセージを持つ孤高の芸術の数々、ぜひ聴いてみてください。