それでは、インタビューの様子をご覧ください。
この薬局を開設されたきっかけを教えてください。
オーナー薬剤師の鈴木先生
ただ母が突然、くも膜下出血になり、断念せざるを得なくなりました。そのときはかなり落ち込みました。渋谷にある松本英語専門学校に通っていたのです。 そこではかなり鍛えられました。夜間ですけどね。行く準備をしていたのですが、結局そういうことで、行けなくなって、スランプに陥ったのですが、その時に自分は本当に何をしたいのか、と自分を見つめ直しました。
薬剤師は早く薬出せばいい時代だったので、お客様と接する仕事はないかなと思っていたのですが、その時「漢方相談がある」ということに気がつき、大学時代漢方を勉強していたので、そちらの道に進むことにしました。
私は、田舎育ちで、自然の中で育ってきたので、自然に対しての素晴らしさに気がつかなかったのですが、東京に来てみて「自然ってすごいな」って気がつきました。自然のものを使って人を治せるというというのは、最高のことだなと思い、漢方の道を選びました。
最初はどこかの薬局で修行をされたのでしょうか?
都内で漢方の修行をさせてもらいました。実際に自分は当初から独立志向が強かったので、経営的な勉強も少しさせてもらいました。漢方に関しての本当の勉強は、私の師匠の田畑隆一郎先生に、日本漢方の古方漢方を勉強させていただきました。千葉大の小倉重成先生のお弟子さんが田畑隆一郎先生で、小倉先生は奥田謙蔵先生のお弟子さんになります。中医学と日本の漢方の違いについて教えてください。
もとは1500から2000年前に、中国の南の地域で広がったチフスとか、急性熱性疾患に対応した医学書ができたのですが、それが「傷寒論」というものです。その傷寒論と、慢性疾患を考えた「金匱要略」という本をベースにしたものが日本に入ってきました。日本人は受け入れたものを中に中に追求していくじゃないですか。そこで鎖国もあったのですが、それを純粋に守ってきた漢方を日本漢方、古方漢方といいます。漢方には様々な動植物の原材料があります。
中国の場合は王朝が目まぐるしく変わり、遣隋使、遣唐使、唐が滅びて……と時代風景がどんどんかわりました。国が変わると医学や習慣も変わりました。漢方も伝承するというよりも、国と同時にどんどん変化していったのです。
漢方医学には必ず法則性があります。それを知るにはセンス、感性が必要です。私達には到底出来ない業です。私は畑をやっていて、それから田畑先生に会い、東京麻布のお医者さんである中村篤彦先生で畑の修行をさせてもらったのですが、畑をやって、ちょっとだけその感性というか「そういうもんなのかな」というものがわかってきました。
畑で育てている様子
私も人の顔見て、この方は胃が悪いんじゃないかとかわかるのですが、先生から見ると仕事柄、よくわかるのではないですか?
やはり人間も年をとってくると顔に出るってよく言いますよね。いい顔している人っていいですよね。生活とか、苦しみとかって顔にでます。姿勢、声や言葉遣いにも出ますね。偉そうなことを言ってれば、絶対に落とされますよね。それと同じことが起こると思うんですよね。「実る程、頭を垂れる」じゃないですけれども、日本で漢方の世界ではあまり素晴らしい先生というのは出てこない。隠れているんですよね。本当に実力がある方は出てこないんですよね。
日本漢方と中国漢方の違いというのは、中国は、時代も変わってどんどん新しいものを取り入れて来たんです。日本は、ラーメンや車のように海外のものを取り入れて、日本的に追求して最高品を作りましたが、日本漢方はもとのものを受け継いで、本当に中に中に……にそれが日本漢方です。
中国の漢方と日本の漢方は植物も多少違うものなのでしょうか?
日本漢方の場合は、傷寒論・金匱要略を中心にしているので、中国漢方よりも圧倒的に種類がすくないと思います。中国は、猿の脳みそや赤ちゃんの胎盤、あらゆるものを使います。犬や虎の骨も使います。日本漢方はどちらかというと、傷寒論・金匱要略をベースにしているので使うものは木の根っことか、葉っぱとか、枝とかそういうものが中心になります。使う生薬は、日本は資源がなく、もとは中国ですから、中国をベースにしていますが、逆に良いものがベトナムでしか手に入らないものもあります。お薬として使える内容になるまでは、その環境によるのです。例えば静岡はお茶が美味しいですが、東京ではまずいですよね。水もそうだと思います。やはりその土地にあったものっていうのがあるわけです。漢方薬はもともと中国がすごい国だったので、あらゆるところから取り寄せました。