「二世帯住宅」が我が国の住宅シーンに登場してから今年で40年になります。当然ながら誕生当時から現在では、私たちの暮らしはずいぶん変化しましたが、では二世帯住宅のあり方はどう変わっているのでしょうか。今回の記事では最近増えてきているという、娘夫婦同居の実例を交えながら、このことについて考えていきます。

「嫁姑問題」に代表される同居によるストレス

最初に申し上げておきたいことがあります。それはあくまで、二世帯住宅という言葉が生まれてから40年ということ。二世帯、あるいはそれ以上の多世帯による居住というのは、有史以来、様々な場所で一般的に行われていたという事実です。

福岡の集落

福岡県のある集落の様子。かつての住宅では複数の世帯が身を寄せ合って暮らすケースが一般的に存在していた(クリックすると拡大します)

一つ屋根の下で親世帯とその子供の家族数世帯が生活するということも普通でした。そうなると、家族の中の順位付けがされ居住する家族の中にストレスが生まれます。代表的なものが「嫁姑(よめしゅうとめ)問題」です。

問題の中身はお嫁さんが夫の両親、なかでもお母さんとの人間関係で苦労するということ。例えば食事の味付けや掃除の仕方などで、いちいち小言をいわれるといったこと。毎日のことですから大変です。

私の実家は二世帯住宅でした。母はずっとこの問題で苦労してきた人。今は父も亡くなり気ままな一人暮らしをしていますが、時々、思い出したように当時の苦労を話します。

逆のケース、お婿さんと同居親世帯の関係では「サザエさん」のマスオさんが代表事例。今では婿養子(あるいは奥さんの両親と同居する人)のことを「マスオさん」と呼ぶくらい象徴的な存在となっていますね。

家長である波平さん、フネさんのほか、カツオくんやワカメちゃんなどの家族と食事を含めた生活のほとんどを共にしているわけですから、マスオさんもそれなりに大変です。

そういえば時代劇「必殺仕事人」の中村主水は入り婿で、同居する奥さんの母親(姑)から「ムコドノ」と、折に触れ叱責され所在なげに生活しています。これは中村家の跡継ぎの子供が生まれないことや、稼ぎが少ないことへの不満も含まれていたのでしょうが。

こんな感じで二世帯あるいは多世帯の居住においては、家族とはいえ価値観を異にする多様な人たちが共に暮らすわけですから、嫁姑に限らず家族が増える分だけ人間関係の難しさが発生しがちなのです。

誕生から40年、進化が進む二世帯住宅

私の母は韓国のドラマが大好きで、帰省した際に私も少しだけ見るのですが、そこにも嫁姑問題が描かれています。つまり二世帯、多世帯居住の人間関係の難しさは、国や地域を選ばないということでしょうか。

同居のかたち

二世帯住宅の誕生から40年。同居スタイルについては現在、様々なかたちの提案が行われるようになっている(クリックすると拡大します)

さて戦後、サラリーマンが増え、急速に核家族化が進んだわけですが、それでも二世帯あるいは多世帯で居住するニーズはなくなりませんでした。それは都市部で住まいを得るためのコストが非常に高額になったためです。

ですので、老朽化した親の住宅を建て直し、親世帯と子世帯が共に暮らすという選択肢が根強く残ったのです。それにあたって、両世帯のストレスをできるだけ低減できる住まいとして定義され、生まれたのが「二世帯住宅」という言葉であり提案だったのです。

生み出したのは、都市型住宅に定評のある旭化成ホームズ(ヘーベルハウス)。最初の商品は、親世帯とその息子の家族が暮らすためのもので、玄関と水回り(キッチンや浴室など)がそれぞれにある建物。2階建てで外階段が付いているタイプです。

つまり当初の二世帯住宅は、できるだけ嫁姑問題でストレスを感じさせないことに主眼が置かれていたのです。違ういい方をすると、そうすることで二世帯住宅という新たな住宅の市場が生み出されていったといえます。

その後、土地を含めた住宅取得コストの問題だけでなく、高齢化社会の本格化や所得環境の激変、共働き家族の増加などを背景とする個人のライフスタイルの変化、社会環境の変化に対応した多様な二世帯・多世帯居住の提案が生まれています。

で、その最先端といえる事例を、それも二つ目にする機会がありました。次のページでご紹介します。