73歳3カ月でベルトを奪取したグレート小鹿
大相撲出身だが競輪選手になりたかった?
さる7月20日、大日本プロレスが両国国技館に初進出。この記念すべき大会において同団体の会長であり、今もなお現役レスラーとしてリングに上がっているグレート小鹿が星野勘九郎&稲葉雅人とトリオを結成してバラモン兄弟&植木嵩行から横浜ショッピングストリート6人タッグ王座を奪取しました。73歳3カ月は日本最高齢の現役であり、もちろんチャンピオンの最高齢記録。今や力道山存命中からリングに上がっているのは小鹿ひとりです。1942年4月28日に北海道・函館で生まれた小鹿は中学卒業後、一度は就職しましたが、18歳になる60年4月に「東京で一旗揚げてやる!」と青函連絡船に飛び乗りました。その待合室で大相撲の九重親方(第41代横綱・千代の山)に声をかけられたことで小鹿の格闘技人生がスタートしました。
東京に着くや、そのまま出羽海部屋に連れて行かれて相撲取りになり、正剛山の四股名で活躍した小鹿でしたが、力士になることを夢見ていたわけではなかったために3年で廃業。東京都内の魚屋で奉公を始めましたが、その後に競輪選手を志したといいます。競輪学校の入学金をプロレスラーになって稼ごうと思って渋谷のリキパレスに行って力道山に直訴して入門を許され、63年5月9日に奈良あやめヶ池公園特設リングにおける駒厚秀戦でデビュー。競輪選手になるはずが、52年もの時間が流れたわけです。気付いてみれば、今もプロレス界に関わっている力道山門下生はアントニオ猪木、北沢幹之、小鹿の3人だけになってしまいました。
45年前に米国で成功!ロサンゼルスで3冠王者に君臨
グレート小鹿の名前がプロレスファンの間で話題になったのはアメリカ武者修行中の69年です。テネシー、ジョージア、フロリダ、デトロイト、カンザスなどのアメリカ激戦区を転戦し、10月にロサンゼルスへ。ここで3冠王になったのです。まずドン・カーソンとのコンビでNWAアメリカス・タッグ王座を奪取。12月19日にはオリンピック・オーデドリアムで「まだ見ぬ強豪」として日本のファンが来日を待ち望んでいたミル・マスカラスに挑戦して同地区の最高峰アメリカス・ヘビー級王座を奪取。同月にはTVチャンピオン(奪取した日付は不明)にもなってロス地区を完全制圧したのです。マスカラスからベルトを奪取した大会には日本からジャイアント馬場が遠征してきてフリッツ・フォン・エリックの挑戦を退けてインターナショナル・ヘビー級王座を防衛しましたが、試合はマスカラスvs小鹿がメーンイベントでした。
アメリカにおける小鹿の評価は高く、74年秋から1年間、テキサス州アマリロにカンフー・リーというリングネームで謎の中国人レスラーというキャラクターで遠征しましたが、ここでもテリー・ファンクと抗争を繰り広げてウェスタン・ヘビー級王座を奪うなど悪役のトップとして活躍しています。
今回の横浜ショッピングストリート6人タッグ王座を奪取した試合では植木をテキサス・クローバー・ホールドでギブアップさせましたが、これはテリーの得意技です。「負けて覚える相撲かな、という言葉があるように、負けて覚えるプロレスかなって。あの技は1975年にアマリロでテリーに負けた時にかけられた技なんですよ」と小鹿。40年前の引き出しを開けての勝利だったのです。
ちなみにプロレスでの世界最高齢王者は女子プロレスラーのファビュラス・ムーラの76歳と3カ月。99年10月17日、オハイオ州クリーブランドにおけるWWEの『ノーマーシー』というビッグショーでアイボリーを撃破して女子世界王座を奪取しています。小鹿は「おいらにあと3年頑張れっていうの?」と苦笑しつつも「1日1日を過ごしてやっていれば、やがてその日が来るだろうと自分ながら期待してます」と意欲満々です。