日本で唯一「紫電改」が展示されている、愛媛県愛南町の「南レク」にある紫電改展示館。紫電改はゼロ戦の後継機として開発されました。
太平洋戦争末期、旧海軍の戦闘機としてその名を馳せたゼロ戦に代わる機体として開発されたのが「紫電改」です。その紫電改、愛媛県愛南町のレジャー施設「南レク」にある『紫電改展示館』で、日本で唯一現存し、展示されています。
紫電改は、アメリカに3機、日本に1機だけが現存
紫電改は、ゼロ戦に代わる新鋭機(局地戦闘機)として、終戦直前に開発されました。当時の大日本帝国海軍で最もすぐれた戦闘機だったと言われています。
終戦後、紫電改は3機がアメリカに輸送されました。スミソニアンの国立航空宇宙博物館、ペンサコーラ米海軍航空基地内の国立海軍航空博物館、ライト・パターソン空軍基地内の国立アメリカ空軍博物館にそれぞれ展示されています。
34年ぶりに海底から引き揚げられた「紫電改」
館内では、引き揚げられた紫電改が間近で見られます。紫電改を“戦争遺産”として未来に伝えるべく活動するガイドもおられます(要予約)
日本国内では現在、愛媛県愛南町に残るたった1機のみ。1978年(昭和53)11月、愛媛県久良湾の海底で発見され、翌年7月に34年ぶりに引き揚げられました。その機体はフジツボでおおわれ、破損が随所に見られたものの、ほぼ原型をとどめていました。
この紫電改は、1945年(昭和20)7月24日、アメリカ軍を迎え撃つために343航空隊が豊後水道に向けて発進し、その戦闘による未帰還機6機のうちの1機とされています。6機のパイロットのうち誰が乗っていたのかは分かっていません。