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大相撲だけではない!プロレスの聖地・国技館今昔物語(2ページ目)

"ミスター・プロレス"天龍源一郎が11月27日、両国国技館で引退試合を行います。国技館は相撲の聖地であるだけでなく、プロレスにとっても昔から聖地でした。日本で最初にプロレス興行が行われたのは旧・両国国技館。そして蔵前国技館では力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木が名勝負を演じ、平成になってからは今の2代目両国国技館が使用されています。プロレスにおける国技館の歴史を紐解きましょう。

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

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両国での興行開催はプロレス団体のステータス

そして85年1月場所から大相撲の聖地は現在の2代目両国国技館に。同年3月9日、全日本がプロレスこけら落としとなる興行を開催、そのメインイベントが鶴田&天龍の鶴龍コンビにザ・ロード・ウォリアーズが挑戦したインター・タッグ選手権でした。その後、全日本のメイン会場は東京・九段の日本武道館になり、両国国技館は新日本のビッグマッチ用の会場というイメージが付きました。ただ、この両国でも新日本では暴動事件を起こしています。87年12月27日、猪木とビートたけし率いるTPG(たけしプロレス軍団)の抗争が生まれ、この大会にTPGの刺客としてビッグバン・ベイダーが初登場しました。しかし当時のファンは今と違ってプロレスにタレントが絡むのを毛嫌いしており、またまたファンの暴動が起こってしまったのです。これによって新日本は89年2月まで両国国技館を使用できなくなってしまいました。

それでも新日本の黄金時代はこの両国から生まれました。昭和末期は猪木vsブルーザー・ブロディの死闘、猪木率いる旧世代と藤波、長州、前田日明率いる新世代の世代闘争で大きな時代のうねりを作り、平成に入ってからは91年から夏の最強決定戦としてG1クライマックスをスタートさせました。名古屋・愛知県体育館&両国3連戦の第1回大会では藤波、長州が脱落して武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士が勝ち残り、橋本と武藤を連破した蝶野が優勝。平成の新時代が到来しました。藤波が優勝した93年の第3回大会は何と両国7連戦。連日1万人以上の大観衆が詰めかけ、実に7万6700人を動員しました。

両国国技館で興行を開催することは今もプロレス団体にとってステータスになっています。文科系プロレスから文武両道プロレスへと進化しているDDTは09年8月23日に初めて両国に進出し、今年も8月23日に『両国ピーターパン2015~DDTより愛をこめて~』を開催します。近々では7月17日に佐野直が主宰する佐野魂がインディーのレスラーを集めて『佐野直万博』なる大会を開催。その3日後の7月20日には大日本プロレスが満を持して両国に初進出します。大会名『両極譚』が示すようにストロング・スタイルのストロングBJと大日本ならではのデスマッチの両極に位置する2つのスタイルで勝負します。

今年で25回目を迎える新日本のG1クライマックスは7月20日~8月16日の全19戦というロングランですが8月14日~8月16日(優勝戦)の後半は両国3連戦。今やプロレス業界でひとり勝ちと言われる新日本が勝負をかけるのです。

そして11月27日にはプロレス生活40周年を迎えた天龍源一郎が引退興行。大相撲で最高位・前頭筆頭だった天龍は84年2月23日に蔵前国技館でUNヘビー級王者になった時に「これでやっと日本相撲協会に顔向けできる」と思ったといいます。中学2年生、13歳だった64年1月に蔵前国技館で初土俵を踏み、両国国技館でリングを降りる天龍は「これも運命かなと思うし、感慨深いものがあります」と語っていました。これからも両国国技館は相撲だけでなく、プロレスにおいても様々なドラマを生んでくれることでしょう。


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