渡辺謙と聞いて多くの人は「ハリウッド俳優」という単語を想起するだろう。しかし彼のルーツは”舞台”にある。
今回は日本人でほぼ初めてアメリカ演劇界最大の祭典・トニー賞の主演男優賞にノミネートされた渡辺謙の足跡と、彼が主演として舞台に立つ『王様と私』について書きたいと思う。55歳……日本のみならず、ハリウッドでも活躍する彼はなぜ、ブロードウェイの舞台に立とうと思ったのか。
渡辺謙・トニー賞ノミネーション作品
『王様と私』とは?
2015年4月末『第69回トニー賞』のノミネーション発表があった。トニー賞といえば映画でいう所のアカデミー賞……つまり米演劇界で最も影響力と権威のある賞と言える。渡辺謙がノミネートされたのは「主演男優賞」。この1年間、NY・ブロードウェイで上演された作品の中で優れた演技と認められた5人の俳優の名前が呼ばれ、その中には日本人としてほぼ初となる渡辺の名前もあった。彼がノミネートされたのはミュージカル『王様と私』でのKing役の演技。『王様と私』は1951年にNYのセント・ジェームズ劇場で初演され、その後もロングラン公演を続けた名作ミュージカルだ。初演で主役のKingを演じたのはユル・ブリンナー。1956年に同作が映画化された時もユル・ブリンナーがKingを演じ、こちらも大きな評判となった。
『王様と私』の舞台は19世紀のタイ。夫を亡くしたイギリス人女性・アンナが子どもたちの教育係として王宮に入るのだが、王宮内の封建的なやり方に馴染み切れないアンナは王とぶつかりながらも彼の心を開いていく。2人の心が通じた時=東洋と西洋の文化の違いが重なり合った瞬間にパフォーマンスされるのが有名なナンバー「Shall We Dance?」である。
今回、渡辺謙にとってある意味ラッキーだったのは、オファーされたのが『王様と私』のKing役だという事と、上演劇場がリンカーンセンターだったという点ではないだろうか。
Kingは欧米人から見たアジア人の役で、英語が完璧でなくても成立させられるキャラクター。更に上演劇場のリンカーンセンターは非営利団体で実験・前衛的な作品や外国人俳優を積極的に受け容れている場所でもある。
とは言え、12年前のハリウッドデビューから英語の勉強を本格的に始めた渡辺にとって、映像と違いリテイクがきかない舞台の現場で英語のセリフを喋り、英語の歌を歌って主演として舞台の芯に立つという事は凄まじいチャレンジだったに違いない。それも、世界中で一番厳しい観客が集まるというニューヨーク・ブロードウェイでの挑戦である。
NHK・プロフェッショナルの映像ではマネージャーは勿論、通訳も稽古場にはおらず、正に”孤独な戦い”だった。
なぜ彼はハリウッド俳優という華麗なキャリアを一旦置いて、こんな過酷な挑戦をしようと決めたのだろうか。
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