笑いと音楽 異色のタレント「とんねるず」
1980年のデビューから30年以上の長きにわたって芸能界の第一線を走り続けているとんねるず。彼らの本領はお笑いに違いないが、歌手としても数多くの作品を持ち、かつ時代の変化を敏感にキャッチしながら数々のヒット曲を生み出している異色のタレントだ。
彼らがこれほどまでに音楽方面で評価されてきた理由はなんだろうか。とんねるずとして活動していた時期はもちろん、野猿、矢島美容室などのユニット期、そして『憲三郎&ジョージ山本』などの企画モノも含め順を追って解説していきたい。
※とんねるず音楽の歴史(1)デビューはアニソン!?はこちら
とんねるず音楽の指針となった『雨の西麻布』
『一気!』で人気を博したとんねるずだが、一般に本格的な歌手として認知されるようになった決め手は『雨の西麻布』(1985年9月)だろう。男と女の別れを歌った歌詞……内山田洋とクール・ファイブを起用した重厚で水っぽいコーラス……そこらの芸人が歌ったら”ほんまもん”になってしまいかねないムード歌謡風の曲調だが、超人気番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)のレギュラーにおさまり時代の寵児となっていた彼らにかかればなんともポップな仕上がり。
オリコン週間ランキングでは5位、『ザ・ベストテン』(TBS)などの音楽ランキング番組でも上位に食い込んだ。
曲中の
「根性だったら負けません 紅白をねらいます」
というセリフもまんざらではないヒットをおさめたのだ。
このタイミングで売れ線ポップスなどではなく、あえてムード歌謡で勝ちをおさめた成功体験はこの後のとんねるず音楽の大きな指針となったに違いない。
ドリフターズや植木等のように
続くシングル『歌謡曲』(1986年1月)もムード歌謡路線。よりアッパーでリズミカルなアレンジとなっており、音楽番組で披露する際にはサビの「おまえのすべて」というフレーズを『好きさ好きさ好きさ』(1967年 ザ・カーナビーツ)のアイ高野風に歌うなど笑いを誘う要素も盛りだくさんだ。
オリコン週間ランキングでは2位という健闘ぶり。この後『ガラガラヘビがやってくる』(1992年1月)で1位を獲得するまで長く”2位どまり”というジレンマを味わうことになるのだが……それはさておき
『一気!』から『歌謡曲』に至る連続ヒットはとんねるずの音楽活動を"副産物"ではなく本業と同等の価値あるものへと押し上げた。
”芸人が歌も歌った”と言うのではなく、ドリフターズや植木等のように、音楽においてとんねるずならではの境地に至ったのだ。