京都のへそ 六角堂
京都の街中に、本堂の形が六角形であることから、一般に「六角堂」の名前で親しまれている頂法寺というお寺があります。「六角堂」頂法寺
寺伝によれば、聖徳太子が大阪の四天王寺建立のための木材を探しにこの地を訪れた時、霊夢を見て六角のお堂を建立し、観音像を安置したのがはじまりとされ、華道の「池坊(いけのぼう)」発祥の地でもあります。
お寺の本堂の脇にあるのが、「京都のおへそ」とか「へそ石」と呼ばれる下の写真のようなもの。直径約40cmほどの六角形の石で、中央に穴があり、周りに玉石が敷き詰められています。
京都のへそ石
この石が元は、何に使われたものかは定かではありませんが、石灯籠の台石だったのではないかなどといわれています。
また、以下のような不思議な伝説も残っています。
(出典:京都新聞 ふるさと昔語り)平安京造営の際、新たに造る道路の計画路線に六角堂が重なってしまった。役人たちは太子ゆかりの大切な堂の扱いに困り、桓武天皇の使いを呼んで本尊に祈った。すると一夜にして六角堂全体が北に約十五メートル移動し、問題が解決したという。
この時に、お堂を支えていた礎石だけが動かずに残ってしまい、それが「へそ石」なのだという話です。
ちなみに、この石が「へそ石」と呼ばれる理由は、もちろん、へその形に似ていることもありますが、京都の街の真ん中にあるというのが大きな理由。
元々、平安京の中心を南北に貫く朱雀大路は現在の千本通りとほぼ重なりますから、現在、六角堂のある位置は、中心からは、かなりずれていたことになります。
■参考 現在の京都地図と平安京の条坊図を比較
http://rekishi.maboroshi.biz/heiankyo/
ところが、平安京は左京(東)は住みやすく、右京(西)は低湿地帯で住みづらかったため、西はさびれ、東は鴨川以東にも居住地が広がり、東西の居住バランスが崩れました。その結果、現在の六角堂付近が、次第に京都市街地の中心になっていきます。
六角堂境内の聖徳太子が沐浴をしたと伝わる池の古跡
その後、京都市街地の大部分を焼失させる応仁の乱(1467~1477年)を経て、秀吉による「御土居(おどい)」の建設など、京都の「洛中」の定義は時代によって変遷します。
現在は、市街地がさらに広がったことから、地図を見ても、六角堂が「京都のへそ」という感じがしないかもしれませんが、六角堂の周辺は今もにぎやかで、京都の中心であることに変わりありません。
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■六角堂(頂法寺)
住所:京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
アクセス:市営地下鉄「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分 阪急京都線「烏丸」駅21番出口から徒歩5分
ホームページ → http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/