大津波で壊滅的な被害を受けた閖上地区
現地には震災翌年から年1回、4月~5月に訪れており、今年は4月11日、12日に訪問しました。狙いの一つとして、定点観測的に被災地がどのようなかたちで復興を遂げているのか、私なりに観察したいということがあります。さて、閖上地区が震災でどのような被害を受けた場所なのか、改めて整理しておきます。
・最大震度=6強(名取市)
・最大浸水高=9.09m(推定値)
・最大浸水距離=約5.5km(地上)
・亡くなられた方=964人(2014年3月末時点、行方不明者含む)
・半壊以上の建物=5000棟以上(非住宅含む)
・避難者=最大11000人超
閖上地区は、仙台空港や仙台東部道路にも近いエリア。仙台空港は津波の被害を受けましたし、仙台東部道路は津波の侵入を食い止めたことで知られています。
このように説明すれば、何となく閖上地区の位置関係をイメージしていただけると思います。名産品が赤貝の漁業の街でしたが、その街全てが失われたといっていい状況です。
なぜ、被害の状況を整理したかというと、被害の状況の大きさを今回の訪問で改めて実感したからでした。というのも今回は初めて、語り部として活動している「閖上震災を伝える会」の方に案内していただいたためです。
同会の大宮さんは、地区の中心部にあった日和山で震災前の街の様子を伝える写真を見せてくれました。それにより、今はガレキが片付けられ広大な荒れ地となっている場所が、震災以前は数多くの方々が住む活気のある場所だったことを確認できました。
あれから4年。現在の地域の状況は?
その後、私は自転車に乗って地区全体を回ってみましたが、住宅の基礎部分が残っていたり、流された生活用品が各所に見られるなど、あちらこちらに閖上の皆さんの生活の痕跡がみられました。大宮さんはご自身の震災体験をお話しされ、特に「地震があったらとにかく自己責任で高いところに避難することが大切」と強調されていました。というのも、閖上地区には「ここには津波は来ない」という先入観があったからといいます。
また、「良い人が先に亡くなってしまった」とも。家族の安全を確認しに行った方などが津波に巻き込まれてしまい、結果的に命を失ってしまったので、まず自分自身が生き残ることを優先すべきだったというわけです。
大宮さんのご自宅は津波で1階部分が浸水。現在はそこを補修してお住まいだそうです。ただ、「子どもを外で遊ばせるのは危険」といいます。まだ、クギやガラスが散乱しているためだそうです。
そういえば農地の一部では、土壌の入れ替え工事が行われていました。それは、大宮さんの子どもたちと同じで、農作業をするのには危険な状況だからです。
農地については昨年まで「除塩」作業が行われていましたから、土壌の入れ替えが行われている光景は、復興が少しだけ進んでいることを印象づけられました。
津波襲来当時、多くの人が避難した閖上中学校にも案内していただきました。実際に校舎1階部分の教室にも入れていただき、避難していた状況などについてもお話いただきました。この中学校は間もなく解体されるとのことでしたので、これも貴重な体験でした。
なお、新たな中学校の開校(閖上小学校も)は3年後となる平成30年(2018年)の予定です。災害公営住宅など閖上地区の住宅再建計画が完了する時期も実は3年後なのです。まだまだ、時間がかかるわけです。
次のページではその様子や、閖上の皆さんが現在、このような状況をどうお考えなのか紹介します。