今年の1・4東京ドームは3万6千人を動員
満員にはなりませんでしたが、テレビ中継が反響を呼んで翌日からは超満員札止どめとなり、関東近辺に設置された街頭テレビに人が群がりました。一夜にして爆発的なプロレスブームが起こり、そのブームはテレビの普及にも貢献したのです。
その記念すべき2月19日は「プロレスの日」と呼ばれています。
暗黒時代からの脱出は「プロレス=強さ」の呪縛からの解放
それから61年、63年12月の力道山の急死によってプロレスの存続が危ぶまれましたが、力道山の愛弟子のジャイアント馬場、アントニオ猪木の活躍が日本の高度成長期とリンクして、プロレスは昭和の黄金時代の築き、現在も続いています。もちろん、ピンチの時もありました。特に90年代後半からゼロ年代前半は「プロレス暗黒時代」と呼ばれる時期でした。総合格闘技のPRIDEや立ち技格闘技のK-1が台頭し、ショー的な要素があるプロレスよりも勝負論に徹したPRIDE、K-1の方が上という意識が世間一般に広まったのです。70年代中盤、猪木は「プロレスこそ最強の格闘技である」として他の格闘技の選手と異種格闘技戦をおこなって勝ち続けたのに対して、PRIDEやK-1で闘ったプロレスラーはことごとく負けたのもイメージダウンになりました。
しかしプロレスが滅びることはありませんでした。アメリカから輸入された格闘スポーツですが、日本特有の格闘エンターテインメント……もっと言ってしまえば大衆娯楽として日本文化に根付いていたからです。
町おこしのイベントでは、なぜかアトラクションとして地元のヒーローに扮したマスクマンの草プロレスがおこなわれることが少なくありません。テレビで乱闘シーンの時に使われるBGMはたいていがスタン・ハンセンの入場テーマ『サンライズ』です。無意識に日本人の生活の中にはプロレスが浸透しているのです。
また、一時は総合格闘技に押されたものの、総合格闘技の勝つか負けるかの勝負論だけではないドラマだったり、華やかさだったり、プロレス特有の面白さが再認識されるようになりました。プロレス=真剣勝負の格闘技ではなく、プロレス=スポーツ・エンターテイメントという見方に変わっていったのです。