「よい家庭人」と「カッコイイ男」は両立できる

育児や家事を一生懸命やっていても、男性としての魅力がないと、「よい家庭人」とはいえない

育児や家事を一生懸命やっていても、男性としての魅力がないと、「よい家庭人」とはいえない

自分で書いておきながらすみません。難しいタイトルですね。「いい夫・いい父」がひとくくりにされているということは、「家庭の中での男性」と、「家の外での男性」いう対比を意味していますね。要するに、「よい家庭人」でいることと、「カッコイイ男」でいることは両立するかという命題ですね、はい。

いや、実は、このお題、編集部からご提案頂いたんですね。面白い切り口だなあと思って、記事を一本書いてみることにしました。ただし、これ、まじめに書くととっても哲学的な話になっちゃうので、ここではざっと概論だけを書くことにします。適度な論理の飛躍は各自ご自身の頭の中で補完していただくということで、ご了承ください。

結論から言いましょう。「両立はできる」。ていうか、「よい家庭人」であることと「カッコイイ男」であることを両立していないと、「よい家庭人」でもないし、「カッコイイ男」でもないのです。とんちか謎解きみたいですね。

ちょっとずつ説明します。

「父」「夫」という役割に依存してしまう男性

育児も家事も一生懸命やるけれど、男性としての魅力がない、男性としての自意識がないというのは、結局「よい家庭人」でもありません。私の運営する「パパの悩み相談横丁」に、「育児も家事もものすごくやっているのに、妻から評価してもらえません」と相談を寄せてくださる男性の多くは、カウンセリングを進めていく過程で、自分が男性としての自意識を忘れていたということに気付きます。

せっかく男性として好きになって一緒に暮らしているのに、その男性が、ベビーシッター兼家政婦のような役割に甘んじてしまっていることに、実は奥様は苛立ちを感じているのです。一緒にいる意味がないと感じてしまっているのです。だから、夫がどんなに育児をがんばろうと、家事をがんばろうと、イライラするばかりで、認めてあげることができないのです。奥様自身もそのことを自覚していないケースがほとんどです。足りないのは育児や家事の量ではなく、夫婦の愛です。ときめきです。

よって、いくら「よい家庭人」であっても、「いい男」でない限り、結局「いい夫」ではないのです。

同様に、たしかに優しくていいお父さんだけど、一人の「いい男」として魅力的には見えないお父さんは、子供から見てもちょっと残念なお父さんに映ります。「お父さんみたいな人になりたい」とは思ってもらえません。それって、子供にとっては結構悲しいことです。よそのおうちのカッコイイパパがうらやましく思えたりします。

よって、「いい男」でない限り、結局「いい父」でもないのです。

上記のような父親は、要するに、「夫」としての役割、「父」としての役割にあぐらをかいてしまっているのです。家族という存在に、自分の存在意義を依存してしまっているのです。精神的に自立できていないのです。それでは「いい男」になんてなれません。