川越城本丸御殿
小江戸・川越は、川越城の城下町であり、現在、川越城本丸御殿は中に入って見学することが可能です。城を見学する前に川越城の歴史をざっとご紹介しましょう。「川越」という土地の名の由来をご存知でしょうか。それは、鎌倉時代にこのあたり一帯を支配していた御家人「河越氏」に由来します(それ以前には「入間の郡三芳野の里」と呼ばれていたようです)。
河越氏は坂東八平氏秩父氏の流れを汲み、 鎌倉時代には武蔵武士の中心地として、この一帯に絶大な権力を持つにいたりました。代々「武蔵国留守所総検校」(むさしのくにるすどころそうけんぎょうしき)という武蔵国最高の役職を継承していき、 権勢を誇ります。
室町時代に入ると河越氏は、周辺武士を集めて「武蔵平一揆」を起こし(1368年)、関東管領上杉憲顕(のりあき)への反乱を指揮しますが、この戦いに敗れます。河越氏は敗走・没落し、歴史の舞台から消えていきました。こののち上杉氏が、室町期の関東において支配力を高めていきます。
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)(扇谷上杉家は上杉氏の諸家のひとつ)が、長禄元年(1457年)に家臣の太田道真・道灌(どうかん)父子に命じて築城したものです(太田道灌は江戸城を築城したことで有名ですね)。
戦国の世に入り、勢力を強めた小田原の後北条氏は武蔵国を支配しようと、川越城主・上杉氏を攻めます。大軍を小軍が破ったことで世に名高い奇襲「河越夜戦(かわごえよいくさ)」によって上杉氏は滅ぼされます。1590年の豊臣秀吉小田原征伐まで武蔵国は後北条氏の支配下に置かれていました。
江戸時代、徳川家が政権を摂ると、藩庁が川越城に置かれました。川越藩は幕府に重用されていたため、幕府の要職についた者が藩主を務めることが多く、「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱、5代将軍徳川綱吉の寵臣・柳沢吉保などが歴代の藩主として名を連ねています。
さて、川越城本丸御殿の奥の間では今日も川越藩の家老たちが何やら話し合いをしておりました。
家老詰所は、明治維新後に民間に払い下げられていたものを昭和63年に移築復元したものです。家老の居室が残っていることは珍しいそうで、人形も結構リアルです。川越藩は江戸湾防衛の任務にあったそうで、このご家老たちはその話し合いをしているとの説明書きがありました。
城には歴史があり、城を巡る争いというのは壮絶ながらも大変興味深いものです。川越城本丸御殿に来て、五感で歴史を感じてみて下さいね。
■川越城本丸御殿
住所:埼玉県川越市郭町2丁目13-1
TEL:049-222-5399
入館料:一般100円、大学生・高校生50円
営業時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)、館内整理日(毎月第4金曜日、ただし休日は除く)
アクセス:西武新宿線『本川越』駅より徒歩10分、東武東上線『川越』駅より徒歩20分
ホームページ:川越城本丸御殿
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