現代美術=現代の社会を表現
藤田私は現代美術の作品を見て「なんだろう?」ということをわくわくしたり、面白いと思う派です。でも他人と一緒に行くと「分からない!どこが面白いんだ!」と言う派が圧倒的。
アーティスト 大崎のぶゆき (以下、大崎)
僕の作品もそうですが、現代美術というのは経済、人種、歴史などの現代社会の問題を問い掛けたり、アート自体の問題や美術史、美術批評について問い掛ける、という表現です。「分からない」ということは、そういった現代社会の問題や美術に関することを「知らない」ことなのです。例えば英語を知ってないと、Thisもisも分からない、何を言ってるのか分からない、となるのと同じです。だからある程度の、現代社会の問題や美術に関することを知っておく必要があるでしょう。その「分からない」ということは、実は「考える」きっかけとなり、現代美術の「面白さ」にもつながっていくはずです。
藤田
例えば古い時代の画家も、現代美術のアーティストも「女性像を描く」ことをします。時代だけで言えば「古いもの」「新しいもの」と片付けることができますが、そうじゃなくて何がどう違うのでしょうか。
大崎
女性は美の象徴でもあるので、女性像は多くの画家が描くモチーフです。美術史をひもとくと、近代の絵画、例えば印象派、これはフランス革命後に市民の時代となり、王様や貴族のための美術が衰退して行った時代に生まれました。さらに写真が発明されたことで、絵画が写実的に表現する必要がなくなりました。そこで今までとは違った描き方を試みたりして「絵画でしか出来ないこと」を目指し始めたのが、印象派の作家たちです。また、同時代の画家であるマネが《オリンピア》という裸の女性像、当時タブーだった娼婦を描いています。こうした時代背景、つまり歴史や美術史を知ることで作品の見え方が違って来ます。今の社会を投影する現代美術の作品は、見たままで理解できるものもありますが、たいていの現代美術作品は「メタファー(隠喩)」つまり「たとえ」で構成されている表現が多いと思います。同じ女性像でも、昔とは違う現代の問題を提起していたりします。
藤田
大崎さんの作品でも、女性像がモチーフの作品がありますね。描いた女性像が溶けていき、画面からなくなってまたもとの像が現れるというループした映像作品です。絵画は時間が止まっていますが、時間の流れを利用できる映像をつかって、不思議で面白い作品だと私は思っています。大崎さんは作品技法も含めて、どう見たらいい、あるいは、こういう意識で制作しているということを教えてください。
大崎
2000年前後から僕は作品を発表していますが、インターネットなど情報が極端にあふれていく時代と重なります。僕にとって「リアリティ」とは何だろう?と模索をしていると、自分が見ている世界が分からなくなります。現代社会に対する僕なりの問いかけをしたとき、「分からない=描いたものが溶けて、再び現れていく」ことが、僕にとってこの世界を表現していることでもあるのです。
藤田
大崎さんがつくる作品も、やはり現代社会とつながっているのですね。
大崎
僕の作品に限らず、現代美術を理解するには、新聞を読んだりニュースを見たりして、私たちの時代や世界に対して好奇心を持つ事が大事だと思います。そうすることで、現代美術を理解することもできますし、社会の問題点に気が付いたり、違う角度で考えるきっかけにもなるのではないでしょうか。
■大崎のぶゆき 展覧会情報
個展
2015年1月10日~2月7日
YUKA TSURUNO GALLERY
グループ展/「未見の星座ーつながり/発見のプラクティスー」
2015年1月24日~3月22日
東京都現代美術館
グループ展/「REN-CON ART PROJECT」
2015年2月17日~3月8日
名古屋市芸術創造センター