三鷹~立川間で18の踏切が廃止、
高架下に新しい空間が生まれた
かつて、中央線三鷹~立川駅間の約13.1kmには踏切が18カ所あった。そのうちには、いわゆる「開かずの踏切」もあり、渋滞の原因となると同時に街を分断してもいた。それを高架化することで、街を一体化し、地域を活性化しようと行われたのが東京都による三鷹・立川駅間連続立体交差事業。高架化自体は2010年11月に完成、すべての踏切が廃止されている。以降、高架下空間を使っての街作りが行われてきており、側道が一部未完成区間もあるものの、現在はほぼ全貌が見える形にまでなっている。そこで、ここでは中央線の、他路線の高架下とは異なる使い方を紹介することで、中央線が目指す街作りを紹介していきたい。
それに当たってはまず、従来の高架下の活用とこれまでの変化を押さえておこう。日本では高架下は非常にポピュラーな存在だが、その始まりとなったのは1910年に新橋~上野館で開通した高架橋とされる。100年以上の歴史があるわけで、しかも、この当時の高架橋は現在耐震補強工事などが行われてはいるものの現役。
使い方としてもっともポピュラーなのは飲食店で、有楽町のガード下でもくもくと煙を上げる焼き鳥屋などの姿を思い浮かべる人も多いだろう。その他、スーパーやショップ、カフェ、あるいは駐輪場、駐車場などとしても使われてきている。
秋葉原、御徒町間の2k540 AKI-OKA ARTISANが
高架下の使い方を変えた
それが変わり始めたと最初に感じたのは2010年にJR東日本都市開発が秋葉原と御徒町の間の高架下を利用して2k540 AKI-OKA ARTISAN(ニーケーゴーヨンマル アキオカ アルチザン)を作った時である。ここは山手線秋葉原駅から歩いて6分、御徒町駅からは歩いて4分という場所で、以前は駐車場となっていた場所。周囲は倉庫街が続いており、人通りはまったくなかった。そこに突然、柱をパルテノン神殿ばりに真っ白に塗った異空間が誕生したのである。店舗プロデューサーとして関わった作戦本部株式会社の鴨志田由貴さんに聞いた。
「最初に話があったのは2008年。その時点でモノ作り、アルチザンがコンセプトとなっており、ここにしかない店に入ってもらうという方針も決まっていました。御徒町には宝飾品店が多いのですが、そうした、周囲にたくさんある店ではなく、また、すでにある程度の実績のある企業やチェーン展開している企業でもなく、これから成長していく会社に入ってもらいたい、その点が従来とは違う点で、そのためにJR東日本都市開発は中小、零細企業でも取引口座が開けるように社内体制を変えたほどです」。
駅ビルや大型商業施設が新規開業しても、行ってみるとどこかで見たような店が大半というケースが多いが、それは経営側がリスクを取りたくないため。チェーン店を入れておけば、ある一定の来客、収益が予想でき、失敗は少ない。面白い商品を扱ってはいても、経営の安定しない若い会社を入居させ、もし、失敗したらどうしよう、雇われた人がそう思うのは仕方がないと鴨志田さん。ところが、2k540 AKI-OKA ARTISANは当初からコンセプトが明快だったせいか、冒険ができている。
その結果、2k540 AKI-OKA ARTISANには店舗、オフィス兼工房といった零細な企業が多く、駅前の商業施設にありがちな既視感がほとんどない。どの店もここにしかないからである。ただ、その分、お金になりだしたのは去年くらいからとも。「真面目に作られた商品を扱っているので単価が高いんです。ふらっと来て買える金額ではない。だから人通りは増えたけれど、売上はまだまだこれからでしょう」。
情報が増え、企業や商品、街の集約化、均質化が進む中、街が生き残っていくためにはそこにしかない何かが必要だと思うが、2k540 AKI-OKA ARTISANにはその何かがあるというわけだ。
それに加え、他の高架下と異なると感じる点が2つある。ひとつは工房や敷地内のスペースを利用してワークショップ、イベントなどが開かれており、人が集まるようになっているという点。買い物に短時間立ち寄ることと、何かを学びに訪れることは時間の長さだけでなく、そこで生まれる人間関係の内容において大きな違いがある。教える人、学ぶ人との間だけでなく、学ぶ人同士に人間関係が生まれるのであれば、高架下は人が出会う場にもなるのである。
もうひとつはここがあらかじめ、秋葉原、御徒町という2つの街をつなぐための場として意識されていたことである。「ここを起点に2つの街を回遊してもらうという意図があります。将来的には秋葉原、御徒町間をひと続きのエリアとして歩いてもらえるよう、高架下を広げていければとも思っています。私がここにカフェをプロデュースしているのですが、そこは情報と人のハブにしたいと考えており、壁に黒板を置くなどして情報発信を心がけています」。
このエリアでの高架下拡大は着実に進んでおり、2013年7月には秋葉原駅電気街口から1分ほどの場所にCHABARA AKI-OKA MARCHE(チャバラ アキオカ マルシェ)がオープンしている。
これはかつてこの地にあった神田青果市場(通称やっちゃ場)をイメージした食にまつわる商業施設で、日本全国のここでしか手に入らない食品などを集めているのが特徴。2k540 AKI-OKA ARTISANとの間にはまだ駐車場があるが、いずれは歩いていけるようになるかもしれないのである。
ちなみに同じ電気街口のすぐ脇にあるガンダムカフェは2010年4月、AKBカフェは2011年9月にオープンしており、こうした一連の事業がJR全体のブランドイメージを大きく変えたと言われる。
就職希望者からすると、鉄道事業だけで考えると面白みを感じられないとしても、そこに都市開発が加われば俄然魅力的に思えるということだろうか。鉄道会社にとっての都市開発は沿線価値の維持・向上が第一義ながら、優秀な人材確保などにも役に立つものと言えるわけである。
阿佐ヶ谷アニメストリートは
作り手と買い手が出会う場
高架下の変化につき、本題の三鷹~立川間に入る前にもうひとつ、注目すべき施設を紹介しておこう。前述の鴨志田さんが手がけ、2014年3月に中央線阿佐ヶ谷駅近くにオープンした阿佐ヶ谷アニメストリートである。駐車場になっていた場所にアニメ関係のショップなどを集めたもので、ここはただ売るだけではなく「作り手と買い手が出会う場所」であるという。明確に人を結びつける場であることが意識されているのである。
「広告の世界で消費者を生活者と言うようになったように、近年、作る人と買う人の境目が曖昧になってきています。そうした人たちが集まり、出会うことで新しいものが生まれると考えると、場を作ることが街を変えることにつながるのだろうと思います」。
阿佐ヶ谷アニメストリートの場合、従前の駐車場のほうが収益としては高いそうで「これまで店をだしたことのない企業に出店を呼びかけて歩いたのですが、なかなか集まらず、3回くらい頓挫。その度にダメだったら駐車場にしようという話になりました」とも。だが、収益だけでなく街の将来に与える影響を考えると、目の前の利益は少なくてもこのやり方で行こうという決断になったのだとか。
実際、オープンして間もないものの、阿佐ヶ谷の来街者は外国人も含めて増加しており、街を変える存在となりつつある。また、これまで暗かった駐車場が明るくなることで、地域には安心感も。そのため、当初は反対もあったものの、今は商店街、地域にも応援してもらえるようになっているそうだ。
2k540 AKI-OKA ARTISAN、阿佐ヶ谷アニメストリートと、箱として考えるのではなく、人間関係や新しい発想、モノなどを生み出し、街を変える場として使われ始めた高架下を見てきた。次のページでは三鷹~立川間の高架下がどのように使われているのかを見ていこう。