先日、土曜プレミアム『リーガルハイ・スペシャル』が放送されました。『リーガルハイ』シリーズは数ある法廷ドラマのなかでも、特別な作品と言えます。

主人公古美門研介を演じる堺雅人による圧巻の長台詞×マシンガントーク、パロディー、クセのありすぎる登場人物など人気要素はいくつもありますが、今回は古美門研介の言葉のパワーに注目し、『リーガルハイ』の何が時別なのかを探っていきます。


既存の法廷ドラマとは何かが違う『リーガルハイ』

『赤かぶ検事の奮戦記』、『離婚弁護士』など検事や弁護士の活躍を描いた法廷ドラマは 、『リーガルハイ』以前にも数多く放送されてきました。

法廷ドラマは大きく2つに分けられます。事件解決までの過程を重視した“謎解きドラマ”と 裁判シーンを中心に主人公の手腕を描いた“裁判ドラマ”です。 もちろん多くの作品は両方を描いていますが、謎解きに重心を置くドラマの方が圧倒的に多いのです。

裁判ドラマは必然的に検事、弁護士の長台詞が要求されます。しかし、長台詞はいくつものリスクを抱えます。台詞は覚えたものの、声の大きさ、質、スピードなどがコントロールされていないと、裁判の雰囲気をぶち壊してしまいます。視聴者を飽きさせてはいけないが、正確な資料と整合性を論拠に共感される論述を展開しなくてはいけない。そういったリスクを避けるため、多くの法定ドラマは謎解きをメインにした内容になるわけです。

しかし、脚本家古沢良太と俳優堺雅人の存在は、そのハードルを越え、裁判中心のドラマを可能にし、『リーガルハイ』を特別な作品へ押し上げているのです。

 

古美門研介の言葉が特別

<スピード感ある瞬発力で攻める
『リーガルハイ』では長台詞が注目されがちですが、短い台詞の切れ味もかなりのものです。

歴史の背景を感じさせる「崇高な理念など欲望の前では無力だ」(第2期 第8話『世界に誇る自然遺産を守れ!! 住民訴訟驚きの真実』より)や、今という時代をついた「判断を下すのは、断じて国民アンケートなんかじゃない!」(第2期 第9話『ついに最高裁! 例え全国民が敵でも必ず命を救う』より)に、視聴者は真理を見ます。

古美門研介の論法は攻めです。相手に思う存分話させて、矛盾を引き出す戦術ではありません。攻めるため、瞬時に言葉を構築し放つ。挑発的な言葉なのか、ショーアップして騒々しくいくのか、敢えて短い言葉で言いきるか。常に思考をフル回転させ、雰囲気を読みながら判断を続けます。鍛えられた思考の筋肉が特別なのです。

<誰もが「なるほど」と頷くポップな論述で攻める
「正義は特撮ヒーローものと少年ジャンプの中にしかないものと思え!」(第1期 第4話 『太陽を返せ! マンション裁判仁義なき戦い』より)

この言葉は古美門研介とともに弁護活動を行う ソックスをはいた突進型弁護士黛真知子(新垣結衣)に向けられた言葉です。少年ジャンプのほかにも『サザエさん』や『天才バカボン』も登場します。言葉で的を得るためには、格式高い言葉だけが有効ではないのです。

<容赦なく攻める。その先を見据えた言葉を添えて
相手の気持ちを考慮せず、現状を言い当てる容赦のなさは、今までのドラマにも確かにありましたが、古美門研介の容赦のない度合いは突出していると言えます。しかし、それは単純に性格の悪さが理由ではありません。

世界を理想に導こうと奔走する弁護士羽生晴樹(岡田将生)に、「だが、君がやってることはウィンウィンじゃない!小さなルーザーをたくさん作って、君一人がウィナーになることだ!いいか?君の本性を教えてやるから、よく聞け!君は独善的で、人を見下し、いい男ぶった薄ら笑いが気持ち悪くて、スーツのセンスがおかしくて、漢字もろくに書けなくて、英語もサッカーもそれほどうまくない、でたらめなことわざを作る、甘くてぬるくて、ちょろい裏工作をしてみたら、たまたまうまくいっただけのゆとりの国のポンコツ へたれ天パー短足クソ王子だ!」(第2期 最終話 『二転三転する最後の法廷!! 執念で救え依頼人!! 真実は悲劇か喜劇か!?』より)と こき下ろします。

それだけでも、ほかの作品にはないスピード感あふれる言葉の放出を楽しめるのですが、古美門研介はこう添えます。「君が皆が幸せになる世界を築きたいと本気で思うのなら方法は1つだ。醜さを愛せ」と。

これが『リーガルハイ』の“特別”なのです。脚本は問題提議にとどまらず、1つの見解を提示します。答えを出すチカラのある作品こそ名作なのです。

<哲学で攻める>
「進歩と引きかえに犠牲を要求してきたのが科学だ」(スペシャルドラマ『大人気法廷ドラマ完全新作!! 大病院で起きた突然死 隠された医療ミス!?…愛憎が渦巻く白い巨塔 崖っぷち裁判の行方』より)

医療裁判において、たかり屋の弁護士九條和馬(大森南朋)は被告の医師赤目義二(古谷一行)の行為を「血も涙もない」と非難しますが「(医療の進歩のために)血も涙もとっくに捨てたんですよ」と古美門研介は言います。

「医は科学である」「死は希望だ」と哲学的言葉は、自然な流れのなかで飛び出してくる。それが”特別感”を生んでいます。その言葉に視聴者は惹かれるのです。どういう意味かと好奇心から耳を傾け、自分のなかで思考してみる。視聴者はパロディーも好きですが、思考することも好きなのです。古美門研介の言葉を咀嚼しながら、その正当性を探ってみる。視聴者にそうさせる脚本と俳優の凄さを感じながら。

古美門研介は原告に対し、最後に「狂気の世界で戦い続ける者の邪魔をするな!」と突きつけます。論拠だてて傍聴人を引き込み、最後に垣間見せる社会への一撃。言葉に対する責任をまっとうする姿勢が脚本にはあります。そしてだからこそ、哲学としての古美門研介の言葉が成立するのです。