かつて皇帝の霊廟であった大聖堂
八角形の壁面が特徴的な大聖堂
ディオクレティアヌス宮殿の敷地内で最も見ごたえのある聖ドムニウス大聖堂(以下「大聖堂」)。ぺリスティルの東側に位置し、八角形をした高い壁が特徴的な建物です。この大聖堂は4世紀前半にディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられました。長い時の流れの中で一部破壊、改装、増築された部分もありますが、大聖堂の大きな特徴である八角形の壁面は建設された当時の姿のままだと言われています。
ところで、この大聖堂は上に述べたようにディオクレティアヌス帝の霊廟が大聖堂へと改装されたものなのですが、学校で世界史を勉強した方、“ディオクレティアヌス帝”といえば「キリスト教を大迫害した皇帝」と習いませんでしたか? そんな皇帝の霊廟が、どうしてカトリック教の大聖堂になったのかと不思議に思ったのではないでしょうか。
この大聖堂は当初ディオクレティアヌス帝の霊廟として建設され、当時は皇帝の石棺が安置されていました。しかし、後にキリスト教を迫害した皇帝としてキリスト教徒らの怒りを買い、彼らの手により7世紀中頃に破壊されて霊廟は大聖堂へと姿を変えたのです。現在、皇帝の石棺は残っておらず皇帝の遺体も行方不明。代わりにスプリットの守護神である聖ドムニウスの石棺が安置されています。聖ドムニウスはディオクレティアヌス帝の迫害により殉教した聖人です。キリスト教を弾圧した皇帝の霊廟がキリスト教の大聖堂になるなんて、なんとも皮肉な歴史の悪戯ですね。
荘厳な雰囲気が漂う内部
荘厳な雰囲気が漂う美しい大聖堂内 (C)Split Tourist Board
シンプルな外観とは対照的に、大聖堂の内部には豪華かつ荘厳な雰囲気が漂います。神格化されたディオクレティアヌス帝の権力と威厳を後世にも伝えるため、かつて天井は煌びやかな美しいモザイクで飾られていたと言われています。現在はそのモザイクは残っておらず、皇帝の遺体が安置されていた当時と比べると随分変わった大聖堂内部。
皇帝のために祭られていたものは、遺体を含め徹底的に排除され、キリスト教徒のための祭壇や宗教美術に置き換えられましたが、唯一、大聖堂内の壁にはディオクレティアヌス帝と彼の妻であるプリスカと言われる人物のレリーフが残っています。キリスト教徒からひどく憎まれていたディオクレティアヌス帝。そんな皇帝の肖像画は、死後ことごとく破壊されてほとんど残っていないため、皇帝の姿を見ることができる貴重なレリーフです。
ロマネスク、バロック、ゴシックなど、それぞれ異なる様式で造られた説教壇や祭壇、聖歌隊席などが安置されていますが、特に目を惹かれるのが白い石灰岩を彫って造られた聖ストシャ(聖アナスタシア)の祭壇。この祭壇は、世界遺産にも登録されているシベニクの「聖ヤコブ大聖堂」の建設を手がけた建築家、ユーライ・ダルマティナッツ(イタリア名「ジョルジオ・ダ・セベニコ」ととしても知られる人物)が聖ストシャに捧げるため、15世紀に造ったもので、クロアチアの宗教美術品のなかでも特に優れたものと評価されています。
その他、ロマネスク様式のこの大聖堂の入り口の扉も必見です! 13世紀初頭に樫の木を削って造られたこの扉は、受胎告知から昇天までのイエス・キリストの受難物語の28場面が彫り込まれており、ロマネスク様式の彫刻の傑作と称えられています。また、聖ドムニウスの聖遺物やイコン、金細工などの宗教美術品などが納められている宝物殿、聖ルチアに捧げられたクリプトがある大聖堂の地下もお見逃しなく。
ちなみに聖ストシャや聖ルチアも、聖ドムニウスと同様、ディオクレティアヌス帝の治世下の迫害により殉教した聖人。自らの神性、威厳を後世に伝えるために造られた霊廟が、自らの弾圧により命を落とした人々の記憶を後世に伝える大聖堂へ変貌を遂げるなんて、皇帝は夢にも思わなかったでしょうね。
<DATA>
■Cathedrala Sv.Duje(聖ドムニウス大聖堂)
住所:Kraj sv.Duje 5
開館時間:4月~9月 8:00~20:00(日曜日は9:30~12:30はミサのため閉館)、10月~3月 8:00~12:30(日曜は閉館)
入場料:45クーナ(宝物殿のみは15クーナ)