“親子鷹”としての成功を誓う
育成ドラフトの2位で、川相昌弘ヘッドコーチの次男が指名された。
このように華やかなスポットライトは浴びなかったが、密かに注目されていた選手がプロ入りを果たした。巨人・川相昌弘ヘッドコーチ(50)の次男で、今春まで桜美林大野球部でコーチを務めていた拓也内野手(23)である。ドラフトが始まった午後5時から遅れること2時間58分後、巨人から育成ドラフトの2位指名を受けたのだ。
桐蔭学園では実績を残せなかったが、首都大学リーグ2部の桜美林大進学後に素質が開花。1年秋からレギュラーとなり、4年時には主将を務めた。父と同じポジションの遊撃で1度、二塁で2度ベストナインに輝き、2013年3月に桜美林大を卒業。今春まで同大のコーチを務めたが、現役への未練を断ち切れず、7月に米国へ渡り、アマチュア選手で構成されるテキサス州の“ウィンターリーグ”でプレー。約1カ月間、通訳なしのモーテル暮らしでハングリー精神を養いながら、14試合で打率.405をマークした。そして、今秋、巨人の入団テストを受験していた。
大舞台での華々しい活躍はないが、父も1982年のドラフト4位と入団時の評価は決して高くはなかった。投手から遊撃手に転向し、地道な努力を重ね、1989年に初めてゴールドグラブ賞を受賞。中日移籍後の2006年10月15日の横浜戦(ナゴヤドーム)、自身の引退試合の中で、前人未踏の通算533犠打を記録。ギネス記録としても認定されている。この偉大なる父から「(守備の時に)しっかり足を使うことなど、基本的なことを繰り返し教えられました」という息子は、「守備と走塁をしっかりアピールしたい。育成ということで厳しいと思いますが、精一杯頑張ります」と目を輝かす。
育成選手は、球団の雇用枠を広げるための制度で2005年にスタート。支配下選手を65人以上保有した球団が採用でき、最低年俸は240万円。公式戦の出場は二軍戦1試合5人までに限られる。7月末まで支配下登録への変更が可能だ。つまり、拓也の次なる目標は支配下登録となる。「チャンスをもらえたので、支配下選手になるために必要な努力をしてほしい」と父である川相ヘッドからエールを送られた息子は「その通りです。1日でも早くなれるように頑張る」と“親子鷹”として成功することを誓った。