A-スタジオ時代
アルマータとしてデビューしましたが、その後「百万本のバラ」で日本でも知られるロシアの歌手、アラ・ブガチョワ(Алла Пугачёва)の助言によりアルマータ・スタジオ(Алмата Студио)に変更。最終的にA-スタジオ(А’Студио)に落ち着きます。A-Studioと表記される事も多いです。ソ連崩壊前の1990年にリリースされたセカンド・アルバム『Джулия(ジュリア)』からのタイトル曲は、AOR風エレクトロポップ。この曲で、前述のアラ・ブガチョワに注目され、ソ連全体へ人気が広がりました。
Джулия (ジュリア) (YouTube)
2000年までフロントを務めていたカザフ人顔のバトィルハフ・シュケノフ (Батырхан Шукенов)が抜けて、女性シンガー、ポリーナ・グリフィスを加入させます。ここで、音楽性がなんとガラージハウスに! 今までファンは戸惑ったかもしれませんが、この突然の路線変更が吉と出ます。UKシングルチャートで64位となります。
S.O.S. (YouTube)
ポリーナがソロに転向し、グルジア出身のケーティ・トプリヤとなり、現在も活動している長寿バンドです。ポップ・ロック的なものとクラブ的なものをミックスさせながら変幻自在に新しい試みを続ける姿勢は、素晴らしいです。ソ連時代から活動してきたバンドとは到底思えません。最後は2005年リリースの中近東+ラテンハウスで締めましょう。
Ночь-подруга (夜のガールフレンド) (YouTube)
2006年にギタリストのバグラン・サドヴァカソフ(Баглан Садвакасов)は交通事故でモスクワにて不慮の死を遂げますが、現在もバンドは活動しており、2012年には25周年コンサートを開催しました。なお、カザフスタンについては、辺境ポップの観点から続編を書きます。
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