神楽坂ホン書き旅館「和可菜」
明治時代の話が多くなってしまったので、ちょっと昭和の話もしておこう。それも、 戦後の話。毘沙門様の向かいにある路地を下ったところにある「和可菜」という木造の旅館がある。この旅館がホン書き旅館だということは知っていたし、その内幕が黒川 鍾信氏の『神楽坂ホン書き旅館』に書かれていることも知っていた。しかし、読んだのは今回が初めてだった。
この本、日本エッセイスト・クラブ賞も受賞していて、読み物としてもとてもおもしろいので、おすすめだ。本を読んで、神楽坂散歩に出かけると、また違ったものが見えてくる。たとえば、和可菜の表札には、「小暮」と「和田」という改札が出ている。小暮とは、昭和を代表する映画女優、木暮実千代さんのことだ。この旅館は小暮さんの妹である、和田敏子さんが経営している。『神楽坂ホン書き旅館』の著者である黒川氏は、その敏子さんの親戚でもある。親戚だからこそ、切り込んだ取材もできたのだろう。
かつては、東京にいくつかあった「ホン書き旅館」だが、今残っているのはここ和可菜だけだそうだ。また、和可菜は「出世旅館」ともいう。出世にはふたつの意味があるそうで、ひとつは、ここで書いた作品がヒットするという意味。そしてもうひとつある。引用しよう。
もうひとつは、映画やテレビ会社、出版社が滞在費を出してホン書きや作家を長期間カン詰にして仕事をさせることである。これがなぜ出世かというと、和可菜に入れられるということは会社や出版社が自分を一流だと認めたからだとなるらしい。カン詰の初日、玄関を入ったところで感極まって泣き出した苦節十年を経たホン書きや作家に、和田敏子は何度ももらい泣きをした。
和可菜の開業は昭和二十九年、敏子が三十二歳のときだった。
この旅館には、小説家では、野坂昭如、映画の脚本を書くために泊まった人としては山田洋次が有名だ。オールアバウトの旅館ガイド・山田祐子さんが宿泊し、記事を書いている。なかなか興味深いので、下のリンクからぜひ。
【関連サイト】
ホン書き旅館「和可菜」の女将さんの半世紀 - ゼミナール紹介
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