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作品を読みながら歩きたい、神楽坂文学散歩(4ページ目)

神楽坂にまつわる何冊かの本を読んでから神楽坂を歩こうと思った。実際に読んで出かけてみると、散歩の幅がまた違う。1冊でもいいので、なにか作品を読んで出かけてみよう。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

泉鏡花の神楽坂七不思議

Kindleでは無料で読める

『神楽坂七不思議』 泉鏡花著  [Kindle版]

かつて泉鏡花は神楽坂に住んでいた。その時代の神楽坂の様子なのだろうか。散文的に七不思議が並んでいる。志満金さんは、こんなふうに登場している。

島金の辻行燈。
家は小路へ引込んで、通りの角に「蒲燒」と書いた行燈ばかりあり。氣の疾(はや)い奴がむやみと飛込むと仕立屋なりしぞ不思議なる。

ここでも「島金」になっている。いま志満金さんは通りに面してわかりやすいけれど、かつてはちょっと奥まった場所にあり、ちょっと路地を間違えると、仕立屋に出てしまったということだろうか。

別れろ切れろは芸者の時にいう言葉

演劇や映画などにもなった有名な作品

「婦系図」 (泉鏡花著/新潮文庫)

『婦系図』のあまりにも有名なセリフが「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉」だ。タイトルの読み方がわからないという人もいるかもしれないけれど、「おんなけいず」と読む。 映画や舞台になっているので、この有名なセリフだけは知っている人も多いかもしれない。しかし、このセリフ、小説には出てこない。舞台化されたときに追加されたのだそうだ。

物語の主人公は27歳の早瀬主税(はやせ・ちから)と23歳のお蔦(おつた)。この2人のラブロマンスとなっている。早瀬は12歳の時からドイツ語学者の先生に育てられ、早瀬自身もドイツ語学者をめざしている。が、芸者のお蔦と恋に落ち、2人は同棲を始める。しかし、そのことは先生や周囲の人には内緒にしている。

「私わっしア特別で心得てるんで、誰も知っちゃいますめえよ。知らぬは亭主ばかりなりじゃねえんだから、御存じは魚屋惣助(そうすけ)ばかりなりだ。」

魚屋惣助だけが2人の仲を知っている。この小説でキーマンともなる魚屋惣助(そうすけ)は、うを徳の初代がモデルなのだそうだ。うを徳は、現在も人気の料亭として神楽坂にある。場所は軽子坂をあがったところ。高級な料亭という外観。もちろん、泉鏡花がここ神楽坂に住んでいた明治時代から営業している。ちなみにミシュランで星も獲得している。
明治時代からの老舗。ミシュランで星を獲得していることでも有名

うを徳 東京都新宿区神楽坂3-1

そんな、泉鏡花の旧居跡の案内板は神楽坂には二箇所ある。まず、南榎町にあるこちら。住宅街の中に案内板がある。
泉鏡花が明治32年(1899年)から4年ほど住んだ旧居跡

泉鏡花旧居跡 新宿区南榎町22番地

泉鏡花は18歳の時、金沢から上京し、有名小説家だった尾崎紅葉に弟子入りをする。弟子として横寺町にあった尾崎紅葉の家に住み込む。これが明治24年の話。泉鏡花はその後、明治32年から4年間こちらの南榎町に住んでいた。そして、明治36年3月神楽坂2丁目に新築された借家に移る。東京理科大のそばに案内板があった。
鏡花は明治36年3月神楽坂二丁目に新築された借家に住んだ。

泉鏡花旧居跡 北原白秋旧居跡 新宿区神楽坂2丁目22番地

神楽坂芸者の桃太郎(伊藤すず)と泉鏡花は明治32年に出会っている。そして恋に落ちた2人がここで同棲を始めるのが明治36年。師である尾崎紅葉には内緒にしていたのだが、どこをどう聞きつけたのか、師の知るところとなる。紅葉はこの同棲に猛反対。結局、2人は別れるのだ。

あ、どこかで、聞いた話。そう、小説『婦系図』は泉鏡花の実体験からの着想だったのだ。ただし、この年の10月に尾崎紅葉は急逝する。その後、2人は結婚する。映画『婦系図』の名シーン

【関連サイト】
うを徳(ウヲトク) - MapFan(マップファン)

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