5:元気がないのに大胆な主人公たち
主人公・笹本沙和(上戸彩)や 滝川利佳子(吉瀬美智子)は、将来に対する情熱や学生時代への憧憬、自己実現に対する具体性が見当たりません。沙和の不倫相手 北野祐一郎(斉藤工)や利佳子の不倫相手加藤修(北村一輝)も元気がなく(どこか影があると言うべきでしょうか)、鬱積した感情を押し込めて生きる痛々しさを滲ませています。よく似た人たちが出会ってしまい恋に落ちるのです。言うことも言えない、強く言えない主人公たちに対し、恋路を邪魔するのは言いたい放題の人たち。心配性の視聴者をヤキモキさせます。
『週末婚』(脚本 内館牧子)では、姉妹の確執も加わって、グサグサした言葉で刺し合い、時に(心を)殺し合います。映画『極道の妻たち』なら、宣戦布告の意地悪女と女同士殴り合います。
ここではお行儀がいいというべきか、激しさを見せません。感情をさらけ出しボロボロになっていく周囲に対し、4人は怒涛の敵意を見せず、一般的な修羅場に比べ、感情を押し殺してしまうかのようです。
しかし、万引き、逃避行、放火といった大人を逸脱した行動に視聴者も戸惑います。しかしそれが、今までの不倫ドラマとは違う「見たさ」につながっているのかもしれません。
視聴者のベクトルが統一されているドラマ(「頑張れ!」とか「負けるな!」)は確かに盛り上がります。しかし、今回の『昼顔』のように、あぁでもない、こうでもない、いったいどうすればいいの~と視聴者のベクトル方向が様々なドラマも、また盛り上がるものなのです。
最終回、ドラマは何を残したのでしょう。
9月25日、盛り上がり続けた『昼顔』は最終回を迎えました。しかし昼顔市場は賛否両論でわきに沸きます。「ハッピーエンドではなかった」。
賛否両論の原因はそんな単純な理由ではなさそうです。
不倫成就=ハッピーエンドでしょうか。修との恋に走った利佳子の立場で言えば、今後子どもたちの卒業・入学、成人式や結婚式を見届けないことに対する背徳はあるはずです。では、元に戻る=ハッピーエンドなのかと言うとそれも疑問です。
不倫の是非もありますが、破綻している関係が再生するのか、あそこまで大騒ぎして切り替えられるのか、さらに不幸になるだけと感じます。
「いかに生きるか」が見えてこない登場人物の決意や人生観。少しわかるけど、まだ足りないし まだ強くない。そんなモヤモヤを(意図的に?)残した最終回だったと言えそうです。
主人公たちの自立に向かう精神がいつか描かれるのかもしれません。