集団防災移転など住宅再建の道のりはまだ始まったばかり
実は美田園の仮設住宅のすぐ隣の土地にも「防災集団移転促進事業」の実施地がありました。そこでは、私たちが訪れた日に名取市による説明会が周辺住民に対して開催され、住民の方々が熱心に見学をされていました。その場所は、かさ上げをした後で、土地の売却と住宅建設が行われるとのことでした。しかし、とはいってもそこはわずかなスペース。住むことができる人たちの数は限られているのです。震災から3年以上経った今でも、まだまだ住宅再建の道のりは始まったばかり、そのような印象を強くした出来事でした。
というのも、それには理由があるのです。というのは、被災された方々の間では元自宅があった場所で再建したいと考える人と、別の場所での再建を考える人たちの間で意見が割れているケースが未だに多いのです。特に年齢層によって意見の隔たりが深刻化しているようです。
行政側も「元のコミュニティの人たちと一緒に暮らしたい」、あるいは「できれば津波の来ない安全な場所で住宅を再建したい」などという住民の意見の板挟みになっているわけです。毎回、訪問する仮設住宅にお住まいなのは元々は閖上地区の方々ですが、その中でも意見が分かれているそう。
かつては「閖上に自宅を再建したい」という意見が7割を占めていたそうですが、今ではそれが3割程度になったといいます。住宅再建の話は財産や所得、高齢化など様々な問題が交錯するものですから、だからこそその解決は一筋縄ではいかないのです。
もちろん、部外者の私などが被災された方々や地元自治体、その関係者に意見できることではありません。ですが、今回の訪問で3年という時間の長さと、その間に仮設住宅を含め決して良質とはいえない住環境にいらっしゃる方々の暮らしがそろそろ限界に向かっているのではないかと、感じられました。
依然として必要とされる復興支援に私たちができること
というのも、訪問する際にいつもニコニコと私たちに対応して下さる自治会長さんが体調を崩されていたからでした。当日は、病院から退院されてお元気そうにされていましたが、自治会長さんの体調不良は決して高齢だからということだけでなく、震災以降の気苦労や仮設住宅という決して快適とはいえない住環境も影響しているのではないかと感じられました。震災から3年経った今でも、「仮設住宅が取り壊された」というニュースは耳にしません。そのことは被災された住民の皆さんの住宅再建がほとんど進んでいないことの証ではないでしょうか。仮設住宅そのものの老朽化も進みつつあります。様々な困難があることは承知していますが、できるだけ早い再建を望みたいものです。
さて、最後になりましたが、阿波踊りの際の様子もご紹介します。仮設住宅では今年も、無事に阿波踊りが披露され、住民の方々との楽しい交流が行われていました。見物されている入居者の方にお話を伺ってみたところ、「こうやって毎年来てくれるだけで私たちはうれしいんです」とのことでした。
仕方が無いことなのかもしれませんが、時が経るにつれ震災の記憶が薄れがちになります。ですが、仮設住宅にお住まいの被災された方々は未だに復興という重い記憶と戦い、日々の不自由な暮らしに耐えていらっしゃいます。そのことを今回のツアーで、また改めて感じた次第です。
ですので、私たちに大切なのは震災を忘れないよう努力を続けることだと感じました。現地はすでにガレキが片付けられ、重労働のボランティアをする必要もありません。被災地を訪れて、現地の方々とちょっとお話をするだけでも良いのだと思います。
皆さんも被災地観光でも構いませんから、もし機会があるようでしたら、被災地を訪れてみてはいかがでしょうか。それだけでも被災地復興に貢献ができるはずです。