今回インタビューするのは若干27歳で座長として橘菊太郎劇団を支えている橘大五郎。
"天才女形"と称される橘大五郎
幼少期から"天才女形"として知られ、これまでに巨匠・北野武の『座頭市』をはじめ様々な映画、舞台などに主要な役柄で出演している。まぎれもなく現代の大衆演劇界を代表するスターだ。
芝居とともにあった幼少期
ガイド・中将タカノリと橘大五郎
ガイド:いろんな資料に目を通したんですけど、大五郎さんのデビューって2歳説と3歳説があるんですよね。
大五郎:舞台にいろいろ出始めたのが2歳半なんですよね。だから3歳でいいかな……と思って(笑)
ガイド:元々、お父さんも役者さんですよね。
大五郎:はい、うちは家系がみんな役者なんで。
ガイド:そういう環境の中で自分も2歳半で役者を始めたということなんですけど、し始めの頃はもう物心ついていたんですか?
大五郎:いや、全然覚えてないですね。もっとさかのぼると、赤ちゃんの頃から簡単な役で舞台に出されていたりするので境目がわからないです。「待て待て!」って言葉をかけられたら走り回る役とか。
ガイド:そうやって少しずつお芝居の雰囲気に慣らしていくんですね。
何歳くらいから「自分はお芝居やってるんだな」って自覚がありましたか?
大五郎:小学生になるくらいですかねぇ。
ガイド:生まれてこのかた劇団と一緒に全国を移動して暮らしてきたんですか?
大五郎:小学校1、2年はお父さん、お母さんが「学校に行かせてあげたい」と言ってくれて、実家のある大分でおばあちゃんと一緒に住んでいたんですよ。それで土曜日、日曜日になると劇団の公演地に行って舞台出て、月曜日になるとまた大分に戻って学校に行って……その繰り返しでした。親と一緒にいられないのは寂しかったし辛かったですね。
ガイド:それで小3からはまた劇団と一緒に行動するようになったんですね。
めくるめく十代 若座長就任 映画『座頭市』出演
ガイド:大五郎さんは十代の若いときから大衆演劇のスターとして活躍されていますが、いつ頃から劇団を背負ってゆくような存在になっていったんでしょうか?大五郎:13歳の頃でしたかね……浅草に大勝館(※2007年より休館)っていう劇場が出来て、そこに出演することになったんです。浅草といえば大衆演劇のメッカなんで、そこの舞台に立てるということで喜んでいたんですが……それが始まる前日に現・総座長の橘菊太郎から「お前、明日から若座長な」っていきなり言われて「えっ!」となりましたね。
ガイド:自分がそうなるんじゃないかなっていう予感はあったんですか?
大五郎:いや、全然なかったですね。予感はなかったですけどその前からメインで出してもらってたので、若座長って言う肩書きを与えて世間的に責任感を持たせてくれたんじゃないかなと思いますね。
ガイド:そうして若座長になってから北野武監督の『座頭市』出演という大きな出来事があるんですね。
北野武監督・主演の映画『座頭市』。橘大五郎は芸者姉妹の姉「おせい」役を演じ、ショッキングかつ妖艶な演技で話題となった。
大五郎:そうですね、それこそその時の浅草の舞台がきっかけなんです。大勝館を運営していた会長さんが北野監督とめちゃくちゃご縁のある方だったんです。北野監督が"浅草のお母さん"と呼んでいるロック座のママさんですね。
その息子さんの紹介で北野監督が芝居を観に来ていただいて、そしたらいきなり映画出演の話になりました。
ガイド:その日観に来てるっていうのはわかっていたんですか?
大五郎:ええもう、びっくりしました。いつもの何百倍も緊張しましたね(笑)
ガイド:映画撮影に参加するにしてもいろいろ大変なことがあったと思いますが。
大五郎:大変でしたね。お芝居の公演もやりながら一週間ごとにお芝居にでて、映画の撮影に行ってを繰り返しながら。北野監督もテレビ収録の週と映画撮影の週を分けているんで、それに合わせて動いていました。
ガイド:映画出演を通して自分の中で変化はありましたか?
大五郎:そうですね、やっぱり仕事への感覚が変わりました。俳優さんたちがシーンごとに切り替えて演技する集中力を見て、映画のすごさもわかったし、逆に僕たちがやってきた大衆演劇のすごさも改めてわかりましたし。いろんなことがプラスになりましたね。
ガイド:若座長就任から『座頭市』に出演している頃はいわゆる思春期でいろんなことを考えたり不安になったりする時期だと思うんですが、大五郎さんの場合はどうでしたか?
大五郎:僕の場合はなんにも考えてなかったですね。バカだったんでしょうね(笑)。自分には大衆演劇しかないと思ってたし。
『座頭市』がきっかけ 早乙女太一との関係
ガイド:『座頭市』は同じ大衆演劇畑の早乙女太一さんとも共演だったんですよね。 まだまだ小さい頃ですけども。同じ大衆演劇出身のスター早乙女太一
大五郎:はい、僕とは五つ違いですね。映画がきっかけでよくしゃべるようになりました。
ガイド:映画がきっかけだったんですね。
大五郎:その前からもいろんな劇団から子役が集まる"子役大会"とかで知ってはいたんですけどね。一緒にお芝居もやってたんだけど、五つも離れると子供同士なんで話することがなかったんですよ。それが映画の撮影で話しているうちに仲良くなって、弟みたいにかわいく思えてきちゃったんですね。僕、弟がいないんで。
それからも兄弟みたいな付き合いをさせてもらっているけど、太一君との縁も『座頭市』がきっかけでしたね。
演歌 ポップス ハードロック 意外に幅広い音楽の趣味
ガイド:自分から音楽を聴き始めた時期っていつ頃でしたか?大五郎:僕はけっこう遅かったと思うんですよ。小学校5、6年とか。
ガイド:初めて買ったCDとかって覚えてますか?
大五郎:なんやろ……覚えてないんですよ。演歌だったとは思いますけど。
ガイド:やっぱりお芝居の影響なんですかね。
大五郎:僕、カラオケで一番最初に歌い始めたの『大利根無情』とかですからね(笑)
ガイド:渋いとこ突きますね(笑)
大五郎:他には『望郷じょんがら』とか(笑)。子供の頃、めっちゃ歌ってましたね。
ガイド:今は普段、どんな音楽を聴かれますか?
大五郎:僕のiPhone、iPad見るといっぱいいろんな曲が入ってるんですよ。ロックとかへヴィメタ……メタリカ、メガデスとか洋楽も聴きますし。椎名林檎さんや玉置浩二さん、B'zも大好きですね。
ガイド:洋楽のハードロックも聴かれるんですね。
大五郎:ガッツリのファンってわけじゃないですけど、好きな曲は舞台音楽にも使ったりしますね。
ガイド:お芝居にもハードロック使うんですね!
大五郎:ちょっと変わったお芝居だと使えるんですよ。『劇団☆新感線』が好きで「面白いなぁ」と勉強させてもらったりして。
ガイド:大衆演劇で使う音楽って演歌や民謡、というような世間のイメージがあると思うんですが。
大五郎:それはどうしても主流ですよね。でも、読んで字のごとく『大衆演劇』だから色んなものがあっていいと思うし、凝り固まらなくてもいいんじゃないかなと思いますね。
ガイド:お芝居に音楽面で自分の趣味の要素も入れていきたいと思いますか?
大五郎:僕は演劇人としてお金をもらっているわけだからお客様のニーズに合わせられるのが前提ですね。自分の趣味にばっかり寄っていっちゃうと飽きられるだろうし。曲もポップスと混じって三波春夫とか入ってくるのが大衆演劇の大事な部分じゃないかなと思いますね。
シングル『時薬』リリースのいきさつ
ガイド:大五郎さんは2009年に『時薬』でテイチクからCDデビューされていますね。 しかも小椋佳さんの提供。どういう経緯でこのCDを出すことになったんでしょうか?小椋佳提供のシングル『時薬』(2009年)
大五郎:事務所の方が小椋佳先生と知り合いだったんです。小椋先生と言えば梅沢富美男さんの『夢芝居』を手がけて大衆演劇もよく知ってらっしゃるので「自分もぜひ作っていただきたい」と何回もお願いしに行ってたんです。それが、ちょうど小椋先生が体調を崩して入院しておられる頃だったんですけど、お医者さんにから"時薬"って言葉を言われたところからピンときて曲が出来たらしいんですね。
ガイド:初めて『時薬』を聴いたときはどういう形の音源だったんですか?
大五郎:ギターの伴奏で小椋先生が歌っている音源でしたね。
ガイド:聴いてどう思いましたか?
大五郎:めちゃくちゃカッコいいと思いましたね。ぶっちゃけ「こりゃ歌えん!」と思いました(笑)。自分の歌になりましたけど、今だに難しいです。
大人の女性の別れ歌なので……また小椋先生の言葉の感覚がすごいんですよね。
ガイド:20代になったばかりの時期であの曲の世界観を理解するのは難しいですよね。
大五郎:小椋先生からは「女形になった気持ちで歌えばいいんだよ」って言われましたね。
ガイド:女形が得意な大五郎さんにぴったり合うように作られたんでしょうね。リリース後の反響はどうでしたか?
大五郎:CD出してるとかカラオケに入ってるということで世間からの見る目が変わったように思いますね。くやしいけど大衆演劇ってまだまだ世の中に浸透していない部分があるんで……。
そんな中で初めて観た人が「大衆演劇って面白いじゃん。あ、歌も出してるんだ。すごいね。」ってなる要素になったと思います。
ガイド:『時薬』をリリースしてもう5年たちましたけど、セカンドシングルの予定とかってないんでしょうか?
大五郎:うーん……僕は歌が苦手なんでね。好きは好きなんでいろいろ考えてはいるんだけど、あと一歩が踏み出せないんです。いろいろ聴いて、どんな曲が自分に合うか知りたいですね。
将来の不安は結婚?
ガイド:大五郎さんは一人っきりでいる時どんなことを考えてますか?大五郎:一人でいるとなに考えてるだろ……めちゃくちゃ寂しがり屋だから一人がダメなんですよ(笑)。でも、休みの日に映画観たり遊園地に行ってたりしても「この演出は使えるな」とか芝居につなげてばかり考えちゃいますね。
ガイド:一ヶ月に三十日仕事してるとそうなるんですかね。まだ20代後半で先は長いけど、今後の人生について不安に感じることはないですか?
大五郎:僕の妹は結婚してるんですけど、僕は結婚できるのかなっていう不安はありますね。
ガイド:お客さんへの印象を考えたら難しい世界ですもんね。
大五郎:でもやっぱり自分の子供と一緒にお芝居やりたいですもんね。一緒にお酒も飲んでみたいし。男の子だったら跡取りにしたいし、女の子だったら……役者が好きだったらやればいいし、自分の好きな道に進んでもいいし。
インタビューの後半は日本酒を飲みながら。酔わせるつもりが酔わされました。
菊太郎越え?橘大五郎の目標
ガイド:2011年に三代目座長を襲名した大五郎さんですが、現状いかがですか?大五郎:座長としてはまだまだ総座長におんぶに抱っこなんで申し訳ない部分があるんです。胸を貸りて、やりたいことをやらせてもらってます。
ガイド:大五郎さんにとって菊太郎総座長はどんな存在ですか?
大五郎:なんて言うかな……釈迦?
ガイド:神様級なわけですね!
大五郎:孫悟空とお釈迦さまみたいな関係で、僕はいつまでもあの人の手のひらの中にいるんですよ。
ガイド:橘劇団は菊太郎さんの代で大きく飛躍したんですよね。
大五郎:ほんとそうです。あの人が田舎の一劇団だったうちを全国の大きな劇場で公演できるまでにしてくれたんです。自分の叔父がそれだけ偉大な人っていうのは本当にありがたいことですよ。
橘大五郎と橘菊太郎
ガイド:今後の大五郎さんの目標は何ですか?
大五郎:超える……っていうのは本当に難しいけど、目標はやっぱり菊太郎を超えることです。お客さんからいつまでも「大ちゃん」と可愛がってもらえるような役者になっていつかは「総座長、たまには楽してくださいよ」って言いたいですね。
橘大五郎 1987年生まれ 大分県出身
※気になる公演情報は『橘大五郎オフィシャルブログ』まで
※取材、インタビューにご協力いただいた居酒屋『赤だるま』さんに感謝いたします