ドラマ/刑事・推理・サスペンスドラマ

さすらい刑事宇津井健とはぐれ刑事藤田まことの共通点(2ページ目)

宇津井健さんがお亡くなりになりました。テレビドラマでの出演を思い返すと、同じく連続ドラマの主演として長い間活躍した藤田まことさんと共通点が多くあります。そんな視点から活躍を振り返ってみます。

黒田 昭彦

執筆者:黒田 昭彦

ドラマガイド

長い間、連ドラ主演で活躍

1980年代半ばは主演ドラマはいったん途絶えます。『スチュワーデス物語』のヒットから同じ大映テレビ制作の「赤いシリーズ」のとんでもなさが「ネタ」としてウケて、変なイメージがついてしまった影響ではないかと思います。

 
それでも1988年に最後の主演シリーズ『さすらい刑事旅情編』が始まり1995年まで続きます。だから連ドラの主演として第一線にいたのは1965年からの31年。


『さすらい刑事旅情編』と交互にテレビ朝日系水曜21時枠で放送していたのが『はぐれ刑事純情派』で、ここで藤田まことと交錯します。藤田まことの連ドラ主演は1962年の『てなもんや三度笠』から2004年の『剣客商売』第5シリーズまでの42年。どちらも息が長く人気シリーズを複数持っているところが共通しています。

息の長さの秘訣は

連ドラの主演を長く続けられた秘訣は何か?二人の共通点を探ると苦労が糧になったんじゃないかと思います。

宇津井健のデビューは新東宝から。1953年の映画『思春の泉』で馬に乗れるからという理由で抜擢。日本初のスーパーヒーロー特撮映画『スーパージャイアンツ』シリーズで主演するなどしましたが、所属の新東宝が弱小映画会社だったため1961年に倒産。
大映に移籍し、しばらくは映画の脇役。1965年に『ザ・ガードマン』でテレビドラマに。1964年の東京オリンピックでテレビの普及期に入ったとはいえ、まだまだテレビドラマは映画の格下という時代です。大映も1971年に倒産しますが、『ザ・ガードマン』がヒットしていたからテレビ部門は存続できるなど、山あり谷ありです。

 
藤田まことも歌謡ショー地方巡業で前座歌手や司会者などの経験の後、『てなもんや三度笠』に抜擢。しかし『てなもんや』終了後はキャバレーの地方巡業まわりに戻り『必殺』まで雌伏期間に。
またバブル崩壊後には28億の負債を抱えるなど苦労してます。

苦労の結果として二人ともベテランになっても大御所ぽくならなかったというのが共通してます。金曜夜9時、10時の男に対して、1968年の『キイハンター』から『Gメン'75』の終わる1982年まで「土曜夜9時の男」だった丹波哲郎が好対照。こちらは大御所的になって、それはそれで成功ですが、その後テレビドラマに出演する際には特別出演的扱いが多くなりました。それに対して宇津井健、藤田まことは親しみがあって連ドラに起用しやすそうです。苦労が腰を低くしたんでしょう。

この仕事をとれ

現在活躍しているところでこの二人レベルに連続ドラマの主演を続けているのは水谷豊。子役時代から活躍し1968年に『バンパイヤ』で初主演。本格的には1978年の『熱中時代』から。ただ1992年の『刑事貴族』終了から『相棒』が連ドラになる2002年の間、二時間ドラマ中心だった時代が約10年とちょっと長い。

『さすらい刑事』に『はぐれ刑事』、そして『相棒』と長い間活躍するためにはテレビ朝日系水曜21時で人気シリーズを持て、ということでしょうか。
【編集部おすすめの購入サイト】
楽天市場でドラマの CD・DVD を見るAmazon でドラマの DVD を見る
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます