デビューは映画でしたが、人気が高まったのは『ザ・ガードマン』以降のテレビドラマから。それ以降、連続ドラマの主演として長い間活躍しました。そのキャリアを振り返ると、タイトルに書いた藤田まことさんとかぶるところがあります。
そんな視点から、宇津井さんのご冥福をお祈りしつつ、テレビドラマでの活躍を振り返ってみましょう(以下、敬称は略させていただきます)。
金曜夜9時と10時の男
1970年代には宇津井健はTBS系金曜21時台のドラマ主演が多く「金曜夜9時の男」でした。1965~1971年の『ザ・ガードマン』(これは21:30からの放送)から始まり。1972年の『シークレット部隊』、1972~1973年『燃える兄弟』と事件ものが続きます。そして1973~1974年のホームドラマ『顔で笑って』で娘役として山口百恵が登場。ここから『赤い迷路』に始まる「赤いシリーズ」(1974~1980年)に突入。全10作中5作に主演(うち山口百恵との共演は三作)、それと山口百恵引退スペシャルの『赤い死線』にゲスト出演。このころに「理想の父親アンケート」をすれば宇津井健がトップだったでしょう。
「赤いシリーズ」はおりしもDVDマガジンが発売中です。
一方、藤田まことといえば「必殺シリーズ」の中村主水。『必殺仕事人』でスタート当初は土曜22時台でしたが1975年の『必殺仕置屋稼業』で金曜22時台に変わり、1987年まで続きました。こちらは「金曜夜10時の男」です。
二つの顔
「赤いシリーズ」と平行して宇津井健の主演作が多かったのは日本テレビ系月曜21時枠。『たんぽぽ』シリーズなど1973~1983年の間に7作主演しています。まじめで熱くていい人イメージは同じですが「赤いシリーズ」は医師、検事、大学教授などダンディな役に対して、こちらは職人などのべらんめえキャラ。東京の深川生まれだけにこちらの方が地に近かったのでしょうか。『渡る世間は鬼ばかり』の二代目岡倉大吉もこちらの路線です。藤田まことも中村主水で普通のコミカルなところと「仕事」の時のシリアスなところの二面性が特徴。二人とも得意パターンが二つあります。
次は「長い間、連ドラ主演で活躍」