江戸時代の俗称が地名に、
町工場と住宅が入り混じる風景に変化
隅田川沿い、浅草の南側にある蔵前は江戸時代に徳川幕府の御米蔵(浅草御蔵)があったことがこの地の俗称となり、やがて地名となったという場所。ここの蔵には幕府が天領他から集めた米を収蔵されており、東を隅田川、他の三方を堀で囲った土地には67棟もの蔵が並んでいたとか。蔵の西側にある蔵前には多くの米問屋や札差(旗本、御家人たちの代行としてコメの受け取り、運搬、売却をする商売)が軒を連ね、江戸でも有数の、繁華で活気のある街でした。明治維新以降は政府が管理することになり、政府御蔵と称されたものの、関東大震災で焼失、往時の面影は失われてしまいます。
現在の蔵前はといえば、通り沿いにはビルが建ち並び、少し入ると小さな町工場や住宅が混在する街。周囲を浅草橋、田原町などの問屋街に囲まれた場所でもあり、このエリア内にも隅田川と平行する江戸通り沿いにはおもちゃ問屋などが並びます。また、北側にある駒形には大手玩具メーカー本社などが立地しています。
ところが、その昔ながらの町工場と住宅が入り混じる風景がこのところ、変化し始めています。それが目に見える形になったのが2011年から始まった、台東モノづくりのマチづくり協会が手がける「モノマチ」なるイベント。御徒町から蔵前、浅草橋にかけての2キロ四方の徒蔵(御徒町から蔵前の意で、カチクラと読む)エリアには元々、モノ作り系の企業やショップ、職人さん、クリエイターなどが多く集まっており、そうした街の財産を活かして街づくりをしようというのがこのイベント。具体的には工房見学や制作実演、ワークショップ、モノ作り市などといった来街者と地元でモノを作る人たちのコミュニケーションを図るような内容となっており、年々参加者は増える一方。
蔵前でも、域内のショップや工房などで同時多発的に行われる第一土曜日の蔵前なるイベントが続けられており、こちらもじわじわと人気が高まり、常連も増えていると聞きました。
続いて都営浅草線・都営大江戸線蔵前の交通事情、住宅事情を見ていきましょう。