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1億2000万分の1の「笑っていいとも!」

2014年3月31日で「笑っていいとも!」は32年間の歴史に幕を閉じます。この機会をとらえて、様々なメディアで特集が組まれてますが、ここではごく個人的な「いいとも」との関わりあい(と言っても、一視聴者としてですが)について書いてみたいと思います。

広川 峯啓

執筆者:広川 峯啓

お笑い・バラエティ番組ガイド

32年間の歴史が閉じられる

日本人なら誰もがご存知のとおり、2014年3月31日で「笑っていいとも!」は32年間の歴史に幕を閉じます。たぶん、幼稚園、保育園でも話題になってるんじゃないかな?

この時期、ネットだけでなく、雑誌、ムック等々でもタモリ特集、いいとも特集が組まれ、今さら何を書いても慨視感バリバリのものになってしまいそうなんで、ここはひとつ開き直って、一視聴者としてスタートから見続けてきた「いいとも」について、つらつらと語ってみたいと思います。

たぶん、十人十色ならぬ一億人一億色のいいとも感というものがあると思うんです。なので、その中の一色だと思って、気楽に読んでいただければ有り難いです。

わりと話題になることなくスタート

1982年10月に鳴り物入りという感じでもなく、するっと始まった感のある「いいとも」ですが、個人的にはそれよりも前番組の「笑ってる場合ですよ」が終ったことがショックでした。内容が尻すぼみになって、B&B、ツービートら出演者のやる気も目に見えて落ちてはいたんですが、それでも当時のバラエティの中では「オレたちひょうきん族」と並んで、お笑い好きが楽しめる番組でしたから。

もちろん、デビューの頃からタモリの大ファンでしたから、まだ見ぬ「いいとも」に期待があったのも確かです。密室芸人が昼間の番組で大丈夫か? なんて、当時は心配されたらしいですが、こっちは田舎から東京に出てきたボンクラ学生でしたから、新番組予告とか見て、無責任に「『場合ですよ』より面白くなるかな?」なんて思ってました。

その予告には、タモリ以外のレギュラーメンバーも告知されていたんですが「場合ですよ」から引き続いて出演するのが、高田純次だけというのも不思議な感じでした。というのも、それまでは東京乾電池のメンバーという印象が強かったんですよ。「いいとも」から最初にブレイクしたのが、この人だったように思います。
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