無償の愛なんて、無理?
“無償の愛”なんて無理?
無償の愛は、単なる“美化された愛”なのでしょうか?
おそらく、“無償の愛”は、頭で考えている限りは、綺麗ごとにしか思えないことも多いかもしれません。
でも、あることができるようになってくると、「本当にそうだな。本当に幸せになるには、最後はそこを目指すしかないんだな」ということを、“心”から理解できるようになるものなのです。
その「あること」とはなにか?というと……
「心の器を大きくすること」です。
心の器次第で見えることが変わってくる
心の器が大きくなってくると、人は物事の見方が変わってきます。逆を言うと、器を大きくしないと、「分からないこと」「見えないこと」もあるのです。
心の器が大きくなった時、人は肝が据わってきます。
そうすると、“怖いもの”が段々減ってきます。
基本、“恐怖心”が人を攻撃してしまったり、保身による愚かな行動をしてしまったりしてしまうことが多いもの。
恋愛で言えば、相手を失うのが怖いからこそ、束縛したり、相手の携帯を盗み見したりするなどといった、残念な行為をしてしまいます。
でも、肝が据わってくると、怖いものがなくなる分、誤った行動は減ってくるのです。
極端な話、「別れることで相手が幸せになれるのであれば、手放してあげよう」とすら思えるようになるのです。
また人は、心の器が小さければ小さいほど、自分の未熟さを正当化してしまいます。
それはなによりも、自分が未熟であることを認めるのが、<怖い>からです。
でも、誰もが未熟なのだから、カッコ悪いことでもなんでもないものですよ?
何はともあれ、「心の器が大きくなる」→「肝が据わる」→「恐怖心が減る」→「人生観、恋愛観が変わってくる」というわけです。