節約ばかりしている人は成熟した人間になれるのか
私たちは子供の頃から、お小遣いをもらったら「貯金しなさい」と言われて育ってきました。そして、子供の頃は何の疑問も抱かなかったと思います。しかし、自分の両親とはそもそも生きる時代が違うわけですから、親が言ってきたことも一度は疑ってみる必要があります。外食を控え、弁当を作って職場で食べる。旅行を控える。本は買わずに図書館で借りる――そうして家と会社の往復だけを毎日繰り返していれば、お金はどんどん貯まります。もちろんそんな時期が必要な局面もあるでしょう。私にもそういう時期がありました。
しかし、今後もずっとそういう生活が続くとしたら、そんな人の人生は充実したものになるでしょうか。人間関係が広がり、成熟した人間になるでしょうか。多様な経験を積み重ね、厚みのある人間になるでしょうか。ちょっと過激な言い方ですが、ただ生きているだけなら動物とそう変わらないという話です。
貯金によって確かに「安心」は得られるでしょう。しかし、その安心と引き換えに、「自分の世界を広げる機会」を失っているかもしれないことに、もう少し敏感になりたいものです。
「モノ」から「コト」へお金を使う
私は今後必要なのは、「モノ」への投資よりも「コト」への投資だと考えています。たとえば大型テレビでも小型テレビでも、映るのは同じ番組です。また、たとえ靴を何足持っていようと、足は2本しかありませんから、一度に履けるのは1足です。「モノ」はお金を払えば誰でも手に入れられるし、基本的には誰が使っても同じ効用を受けることができます。しかし、「コト」つまり「経験」は、お金を払った以上の効用を得ることができます。経験は、知識や情報やほかの経験と結びつき、化学反応を起こし、新たな発想をもたらします。
とはいえ、「この経験から何を学ぶか」「この経験で何を学んだか」を考えることは面倒くさいものです。それに私たちは、そもそも「経験にお金を使う」ことに慣れていません。そのため、頭をあまり使わなくて済む「モノを買う」ことに流れてしまいがちです。でもそれは単に思考停止しているだけです。
有意義なお金の使い方をするには、頭を使う必要があります。では、どういうコトにお金と時間を投下するか? そのコトから何を得ようとするか?それは考えをめぐらせる必要があります。しかしその結果、他人とは違う知恵を自分の中に蓄積することができます。
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