『演歌チャンチャカチャン』

「チャーンカ ラッチャンチャンチャン」というハイテンションなフレーズを挟みながら細切れに『裏町人生』、『せんせい』などヒット演歌・歌謡曲をメドレー形式で歌い上げていく……

単にメドレーなだけではなく、聴いていて面白くなるよう曲のつなげ方に相当な創意工夫がこらされており、これはこれでオリジナル曲と言ってしまえるような独特の存在感を持っていた。
右腕を上げるしぐさとともに1978年(リリースは1977年)に大ヒットした平野雅昭の『演歌チャンチャカチャン』だ。
alt=""

平野雅昭『演歌チャンチャカチャン』

メドレー歌謡の真髄?

当時、パブを経営していた平野がお客のスナック芸からヒントを得て自分でも歌うようになっていたのをディック・ミネが面白がってスカウト。
テイチクからレコードをリリースして最高オリコン3位、公称80万枚の売上を記録した。
世代の方ならきっと一度は口ずさんだことがあるのではないだろうか。

出自といい、内容といい、一発屋的なコミックソングとしてのイメージが強すぎ、音楽としての評価はされない向きがあるが僕はこの曲を、戦前から細々と一定のシェアを保ってきた『メドレー歌謡』の真髄であると見なしている。

今回はこの曲を軸において、メドレー歌謡のなんたるかをみなさんに説明したい。

"メドレー歌謡"の定義

メドレー歌謡という呼称はおそらく僕のオリジナルだが"他人の楽曲のメドレー形式で発表され、メドレー形式であることでオリジナリティーを構築している楽曲"という定義だ。

1コーラスなど、ある程度の尺をとってしまうとただ「曲をまとめて披露する」という便宜的な方向に傾いてしまいがちなので、できるだけ細切れであるに越したことはない。

『演歌チャンチャカチャン』以外に、あきれたぼういずの諸楽曲、嘉門達夫の『替え歌メドレー』シリーズ、マイナー・チューニング・バンドの『ソウルこれっきりですか』などが含まれていると考えている。

先達はあきれたぼういず

細切れのテンポよいメドレーで面白おかしく曲、歌詞のストーリーを構築してゆく音楽スタイル自体はあきれたぼういずが戦前から実践していた。
alt=""

1935年から1951年まで活動し、名だたるスターたちを輩出したあきれたぼういず

あきれたぼういずは一般にコミックバンドとして位置づけられていたようだが、『空晴れて』、『四人の突撃兵』などジャズから歌謡曲、クラッシック、浪花節、声帯模写、寸劇までを盛り込んだセンス、先進性、世相を反映した風刺性は現代の我々が聴いてもうならせられるものがある。

あきれたぼういずは分裂、メンバーチェンジを繰り返し、1951年には解散してしまったが、1970年代においてはまだまだ大衆の記憶に残っていた。
『演歌チャンチャカチャン』が生まれた土壌はあきれたぼういずが作ったと言ってもよいだろう。

嘉門達夫『替え歌メドレー』シリーズへの影響

『演歌チャンチャカチャン』のヒット以降、平野本人や『ザ・マイクハナサ―ズ』など数々のアーティストが二匹目のドジョウを狙ってメドレー歌謡を発表したが大きな反響を得ることはなかった。

しかし、十年以上が経過した1991年、ふたたび空前の大ヒットメドレー歌謡が生まれる。
alt=

1992年のNHK紅白歌合戦にも出演した嘉門達夫

嘉門達夫の『替え唄メドレー』だ。
オリコン年間ランキング33位を記録し、次々と発表された続編シリーズもランキング上位にくいこむ一大センセーションを巻き起こした。

これはあくまで替え歌のメドレーではあるが、細切れにヒット曲をつなぎあわせて独特の雰囲気を醸し出してゆく構成は『演歌チャンチャカチャン』に非常に似通っている。

世代が近く、音楽にもお笑いにも造詣の深い嘉門達夫のこと。
制作にあたってどれほどの意識をしていたかはわからないが、完成した段階で『演歌チャンチャカチャン』を連想しなかったはずはない。
どのみち「必然的な影響下にあった。」と言ってよいだろう。
 

ルーツの異なるメドレー歌謡『ソウルこれっきりですか』

これまでご紹介したものとはルーツの異なるメドレー歌謡もある。
『演歌チャンチャカチャン』リリースの前年、1976年にオリコン2位の大ヒットを記録したマイナー・チューニング・バンドの『ソウルこれっきりですか』だ。
alt=

スタジオミュージシャンが企画的に結成した『マイナー・チューニング・バンド』がリリース。テレビでは3人組のアイドルグループ『アパッチ』が歌った。

これはソウル・ディスコ調に大幅アレンジした『これっきりですか』(山口百恵)を軸に当時のアイドル曲、ヒットポップスなどをメドレー形式にまとめたもの。
細切れ感が醸し出すチープなノリもほどよく、『演歌チャンチャカチャン』に勝るとも劣らぬメドレー歌謡の魅力を持っている。

ただ、この曲が『演歌チャンチャカチャン』やあきれたぼういずと異なるのは音楽的なルーツ。

当時のディスコも現在のクラブも同じだが、基本的に音楽はノンストップ。
そういった演奏スタイルに慣れたミュージシャンにとってこの『ソウルこれっきりですか』の構成はさほど不自然なものではなく、むしろ限られた時間数の中でどれだけ面白いメドレーを作り出すか考えた場合、当然の結果だったように思われる。
ましてや『あきれたぼういず』などの影響は見受けられない。

現代のDJ・クラブミュージックなどに繋がる洋楽ダンスミュージックの系譜にあると見るべきだろう。

21世紀のメドレー歌謡は誕生しうるか?

いかがだっただろうか。
これまでの日本音楽シーンに主なメドレー歌謡をピックアップし、その特徴や音楽的なルーツを解説させていただいた。

数としては少ないものの、当たれば大きいメドレー歌謡。
現代の日本音楽は"歌謡曲"と呼べるような普遍性を失って久しいが、21世紀にもはたしてメドレー歌謡は誕生しうるのだろうか。
老若男女、みんなで楽しく気軽に歌える音楽が復権することを祈りつつ。

また、日本以外にも韓国のポンチャックなど、類似のメドレー歌謡ジャンルが存在するので、機会を改めて紹介してゆきたい。


※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。