昔ながらのスイスの生活が現代に息づくアニヴィエ谷
アニヴィエ谷最奥の村、ツィナール。画像提供:オフィス・ロマンディー
アニヴィエ谷では、マッターホルンの美しい山容がどこからでも見えるわけではありません。氷河特急などの絶景ルートを走る列車とも無縁です。ツェルマットと比べてホテルの数も限られています。しかしアニヴィエ谷には、それでもなお人々を惹きつけて止まない魅力に溢れています。
アニヴィエ谷へのアクセス
マッターホルン周辺にはアニヴィエ谷をはじめ数多くの谷がある
数百年続く共同体の制度が今なお残るアニヴィエ谷
大規模な観光開発から取り残されたアニヴィエ谷には、昔ながらのスイスの山の生活が息づいています。例えば19世紀の末まで続けられていた季節移住。厳しい自然条件の中で過ごすアニヴィエ谷の人々は、季節に合わせてシエールなどの平野部、グリメンツなどの村、さらに高地の牧草地などと季節ごとに移住を繰り返す生活を送っていました。数百年も続く共同体の制度が人々の生活に根付く。画像提供:オフィス・ロマンディー
交通機関が発達した現代では、その季節移住もなくなりましたが、異なる標高の所々に現れる集落や村は、昔の人々の遊牧民のような生活の痕跡を今に伝えています。
また一説によると、アニヴィエ谷にはフン族の末裔が住んでいたとも。アッチラ大王率いるフン族は、4世紀にアジアからヨーロッパに侵入し、ゲルマン民族大移動を誘発したことで知られています。
これはアニヴィエ谷の方言と、フン族の言葉に共通点が見いだせることから導かれた仮説ですが、フン族が現在のハンガリーを拠点に、ドイツまで勢力範囲に収めていたことを考えると、スイスの山深い谷までやってきた可能性は否定できません。もしこの谷で、どことなくアジア人の風貌に似た人を見つけたら、そんな話に思いを馳せてみて下さい。