石畳を歩くのは神楽坂散歩の醍醐味
寺内公園というのが、大型マンションの隣にある。ちょっとした空き地なのだが、ここの案内板を見ると、神楽坂という街の成り立ちがよくわかる。このあたりには、鎌倉時代の終わり頃から行元寺(ぎょうがんじ)というお寺があった。けっこう広い敷地を持つお寺だったようだ。江戸時代になると行元寺の土地を武家などに貸出したのだが、そこに細い路地ができて、そこから花柳界が誕生したのだそうだ。行元寺は、明治40年に西五反田に移転、その跡地を寺内と呼んだ。そして、大正時代、関東大震災以降、被害の少なかった神楽坂へ日本橋や銀座から商人が流入し、繁盛するようになったんだとか。
大久保通りの神楽坂上の交差点を背にして、神楽坂通りの左側の地域が、かつての花街で石畳がある。
神楽坂エリアをうまく歩くのは、まず背骨ともいえる神楽坂通りを把握すること。その左右のエリアに横丁があるので、そちらを散策してみよう。道に迷ったら、神楽坂通りに戻ることだ。僕たちもいったん神楽坂通りの端まで行き、戻りながら左右の横丁に入っていった。