通夜は菩提寺で、葬儀・告別式は専門の葬儀式場で
祭壇右側の額は、1999年に受章した紫授褒章。ご自身が使用されていた白いマイクも祭壇中央に飾られています
11月8日に亡くなった島倉千代子さん(享年75)の葬儀・告別式が14日、東京の青山葬儀所で営まれました。通夜は10日、菩提寺である臨済宗万松山東海寺で近親者のみで執り行われた模様。
本来通夜は、お別れの儀式というより臨終の際の看取りの延長といわれ、遺族はなんとか生き返ってほしいという願いをこめて、故人が生きているときと同じように食事を出ししたり、夜を徹して一緒に過ごすもの。そういう意味では、ごく内輪だけで行われた島倉さんの通夜は、本来の意味に近い形式だったといえます。
亡くなる3日前の肉声と歌声に3000人が涙
一般参列者用の祭壇。献花用にカーネーションが配られました。
13時の開式とともに会場内に響き渡ったのは島倉さんの肉声。「私の部屋の中にスタジオができて、それで……私は、できる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、もう二度と見られないこの風景を見せていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に…素晴らしい、素晴らしい、時間をありがとうございました」
という言葉のあとに、亡くなる3日前にレコーディングした歌手60周年記念曲「からたちの小径(こみち)」が流れ、参列者3000人の涙を誘います。当初は15日がレコーディングの日だったのですが、島倉さんが「その日まで待てない」と、急きょ5日になったそうです。
棺も紫の布張り棺。「人生いろいろ」の曲が流れる中、桐ヶ谷斎場に向けて出棺です。
司会は島倉さんと親交のあった徳光和夫さん。一般の葬儀・告別式と違って、徳光さんならではの「話術」が際立っていたのが印象的。葬儀シーンでは、一般的に司会は黒子に徹し、できるだけ目立たないように淡々と進行しますが、徳光さんはアドリブやご自身の言葉を交えながら読経中でも絶え間なく島倉さんの生い立ちや逸話などを紹介していました(もちろん、寺院の許可を得た上で)。一般人だと耳障りに聞こえてしまったり、時にはシラけてしまいがちですが、さすが匠のなせる技、参列者の思いさえも代弁してくれる心地良いトークでした。