70年代では珍しい女性パンク・ロッカーのデビュー作
■アルバム名ホーセス
■アーティスト名
パティ・スミス
■おすすめ理由
「誰かの罪でキリストは死んだ。でもあたしの罪じゃないからね」という衝撃的なフレーズで始まる曲、これはアイルランドのゼムというバンドがヒットさせた「グロリア」に、後から被せたフレーズです。
その張本人はパティ・スミスという女性で、やがてニューヨーク・パンク・シーンの重要アイコンとなっていきます。
シカゴ生まれ、ニュージャージー育ち、15才の頃ピスファクトリーで大学進学の費用を稼ぎながらアルチュール・ランボーやボブ・ディラン等の作家やアーティストに強い憧れを抱き、当初はそうした人々の「愛人」となることを目指してニューヨークへ渡って来ます。
やがて写真家ロバート・メイプルソープらとの交流によって、自身もアーティストとして自覚し始めました。
先ずはミュージシャンではなく、詩人としてスタートしました。
しかしロック・バンドの演奏をバックに詩の朗読をしているうちに、いつしかバック・バンドを持つようになり、詩にメロディーがつくようになっていきました。
「ホーセス」は1975年、29歳で発表したデビュー作、遅咲きですがそれまでの幾つかのメジャー・レーベルからの誘いを断ってきた経緯がありました。
プロデュースは元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル、ジャケットの写真はロバート・メイプルソープが撮影し、親交の深かったトム・ヴァーレイン(テレヴィジョン)やアラン・レイニア(ブルー・オイスター・カルト)が、ソングライティングや演奏で参加しています。
70年代当時のパンク・シーンに於いて、女性パンク・ロッカーは少なく、その中で過激な歌唱や中性的ルックスで一躍スターの一人となり、ロック史に残る存在になりました。
また、元来のパンキッシュ精神に基づいた宗教批判・恋愛の不満について女性が声高に叫ぶこと等、ほぼ皆無な場所を開拓した芯の強い女性として、フォロワーは絶えず現在も活躍中です。
アメリカ議会図書館は、2010年に本作を国立録音資料登録に認定しました。