F1/F1(フォーミュラ1)について

鈴鹿サーキットで25回目のF1が開催

10月10日~13日の4日間、今年も三重県・鈴鹿サーキットでF1日本GPが開催! 今年は鈴鹿で25回目の開催となり、メモリアルな大会となりそうだ。日本人ドライバーの活躍を中心にこれまでを振り返り、見所をご紹介!

辻野 ヒロシ

執筆者:辻野 ヒロシ

モータースポーツガイド

鈴鹿でのF1日本グランプリは25回目

F1

F1日本グランプリ


F1日本グランプリが今年も鈴鹿サーキット(三重県)で開催される。今年は初めて鈴鹿で開催された1987年から数えて25回目の開催となり、メモリアルな大会となりそうだ。

F1が初めて日本で開催されたのは1976年。この年と翌1977年は富士スピードウェイ(静岡県)での開催となった。しかし、77年の開催時に立ち入り禁止エリアに侵入した観客の死亡事故が発生。翌年から日本でF1を見る事はしばらくできなくなった歴史がある。

日本で初めてF1に参戦した自動車メーカーはご存知「ホンダ」。創業者である本田宗一郎にとって積年の夢だった鈴鹿サーキットでのF1日本グランプリ開催が実現する1987年までに10年の月日を必要とした。それ以来、毎年当たり前のように鈴鹿で開催されていた日本グランプリは2007年から富士で開催されることに。後に2008年以降、富士と鈴鹿で交互に開催される運びとなったが、結局、2009年以降は鈴鹿での開催が続いている。

今回はこれまでのF1日本グランプリのメモリアルなシーンを振り返りながら、今大会の見所をご紹介して行こう。

中嶋悟の活躍に熱狂した80年代

鈴鹿undefined1987

1987年のF1日本グランプリ
【写真提供:MOBILITYLAND】


1987年に日本に戻ってきたF1日本グランプリ。この時代の観戦チケットは抽選だったのをご存知だろうか。

今では想像し難い話だが、10万枚のチケットは購入希望者があまりに多く、まずハガキで抽選に応募し、当選通知を得た人だけが購入できるというシステムが取られた。F1の観戦チケットはプラチナチケット化し、日本グランプリを現地観戦できること自体が高いステータスになった。当時はバブル好景気真っただ中。F1好きを公言する芸能人が「今日はヘリコプターで鈴鹿に来ました」などとテレビカメラの前でコメントするシーンも頻繁に見かけた。
1989

中嶋悟が駆ったロータス101 (1989年)
【写真提供:MOBILITYLAND】


まさに社会現象となった鈴鹿のF1日本グランプリ。日本人の感情移入の中心となったのは日本人初のフル参戦F1ドライバー、中嶋悟だった。当時の国内最高峰レース、全日本F2選手権で3連覇を成し遂げ、ホンダのバックアップを得てF1に参戦。テレビCMにも多数出演し、モータースポーツファンのみならず、お茶の間の期待を一身に背負って中嶋はF1を戦った。F1デビュー時で既に34歳とベテランの年齢であり、結局5シーズン目の1991年をもって引退するが、現在も強い影響力を持つF1ブーム期の立役者といえる。

その中嶋悟の息子、中嶋一貴は2007年から2009年までF1に参戦。さらに次男の中嶋大祐も全日本スーパーフォーミュラなどで活躍している。そんな日本を代表するレース親子が今年は3人勢揃いし、10月12日(土)には中嶋悟の乗った「ロータス」「ティレル」のF1マシンを息子達がデモランすることになっている。まさに25回目の記念に相応しいデモンストレーションランになりそうだ。
中嶋親子

左から中嶋大祐、中嶋悟、中嶋一貴 
【写真提供:MOBILITYLAND】


日本がF1を通じて、世界への大きな夢を見ていた時代。まさにそんな時代の日本グランプリから20年以上の月日が流れている。

次のページでは成熟したF1文化が形成された1990年代の日本グランプリについてご紹介。


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