ギャッツビーの葛藤と臆病さこそが青春
■作品名華麗なるギャッツビー
■監督
ジャック・クレイトン
■主演
ロバート・レッドフォード
■DVD/Blu-ray販売元
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
青春という字は青い春と書きますが、あの10代から20代の時期を過ぎたものには誰でも思い当たるだろう、自分が何者なのか、何ができるのかを自他に問いながら迷走する時期を、たったふた文字で表現した人は、すごいものです。
そしてその青い時期は、若さとともにあるからこそ、多少つっぱしっても「悲劇」にはならず、後で多少の苦みを覚えつつも、思い出として昇華できる。そう言うものだと、一応青春時代はすぎたわたしは思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。
なぜ長々とこんなことを書いているかと言えば、この「華麗なるギャッツビー」こそ、青春時代を過ぎたはずの大人になっても、青春時代を引きずっている男のものがたりだと思うからです。
時は1920年代。まだオイル・ショックもブラックマンデーもヴェトナム戦争も知らなかった、それこそ青春時代を謳歌していたアメリカ。大都会ニューヨークの郊外、ロングアイランドで夜ごとひらかれる享楽的なパーティー。その主催者にも関わらず、喧騒から身をおき、ひとり彼方を見つめたたずむ男……。
わたしは正直この主人公ギャッツビーには共感できず、レオナルド・ディカプリオを主演にすえたリバイバルバージョンでも、「そんなに愛しい女なら、さっさとかっ攫えよ」といらいらしてしまうのですが、その葛藤と臆病さこそが青春なんですかねぇ。
もどかしく揺れる思い。影さえも飲みこみ眩しく輝くきらめき。もう届かない、そんな失われた時に浸りたなくなったら、どうぞこの映画をご覧ください。