新糖尿病薬はリンゴの木からの贈り物です
フロリジン(phlorizin)からSGLT2阻害薬へ
当初、フロリジンは解熱薬や抗炎症薬、抗マラリア薬として使用されましたが、やがてフロリジンを大量に投与すると尿中に糖が多量に存在する「糖尿」になることが分かりました。継続してフロリジンを犬に与えると糖尿病の症状である糖尿、多尿、体重減少が起こるので、20世紀の初めにはフロリジンで糖尿病状態にされた動物が糖尿病の研究に利用されていました。動物を糖尿病にするこの薬が、100年後に糖尿病治療薬になるなんて、どこで運命が交差したのでしょうか?
さて、今春3月、米国食品医薬品局(FDA)はカナグリフロジン(商品名:Invokana)の発売を認可しました。初めてのSGLT2阻害薬です。カナグリフロジンは日本の田辺三菱製薬が創製した薬で、わが国での販売承認も申請中ですから、いずれ私たちも使えるようになります。SGLT2阻害薬はA1Cを改善するだけでなく、体重を減らす効果や低血糖のリスクが少ないという魅力があります。しかし、同時に注意が必要な副作用もありますから、私たちもこの最新薬に「顔合わせ」の挨拶をしておきましょう。
SGLT2阻害薬は腎臓をターゲットにした初めての薬
これまでの糖尿病薬は主としてホルモンのインスリンを目標としたものでした。膵臓からのインスリン分泌を強めたり、体のインスリン感受性を高めたり、不足しているインスリンを体外から注入して補充をすることでした。しかし、SGLT2阻害薬はインスリンではなく腎臓をターゲットにした初めての血糖降下薬です。もしかしたら、なぜ腎臓が血糖コントロールの正面に出てきたのか、いぶかしがる人もいるでしょう。実は腎臓も肝臓と並んで血糖値の安定性に多大の貢献をしているのです。
何世紀にもわたって腎臓は塩分の排泄とイオンバランスの調整、老廃物の排泄をしていると考えられてきました。かつては、糖が尿に出ることから糖尿病は腎臓の構造上の問題と誤って解釈されたこともありましたが、その後は血糖値を一定の範囲に保つレギュレーターであることも無視されがちでした。
肝臓と糖尿病の記事で、空腹時の血糖維持のために体が行なっているブドウ糖の放出が、肝臓に蓄えてあるグリコーゲンの分解(糖生成と言います)と乳酸やアミノ酸、グリセロールからブドウ糖を作る(糖新生と言います)2通りの経路があることを説明しました。
グリコーゲンは肝臓と筋肉にしかありませんが、筋肉は体で最多のグリコーゲンを蓄えているのにもかかわらず、元のブドウ糖に戻す酵素がないので糖生成ができません。ですから糖生成は肝臓のみが行なっており、アミノ酸などからブドウ糖を作る糖新生は肝臓と腎臓が担当しています。
就寝中のような空腹時の血糖維持のためのブドウ糖放出は、上記の糖生成が45%、糖新生が55%のウエイトと考えられています。この糖新生の60%が肝臓、40%が腎臓によりますから、全体から見れば腎臓が空腹時の血糖維持に寄与している比率は20%にもなります。このことは肝臓の移植手術の際に、肝臓を摘出しても糖新生が40%以下にならないことから分かりました。
腎臓の唯一無二のはたらきは、貴重な栄養素を原尿から回収することです。血液中のブドウ糖も正常範囲ならほぼ完全に回収されます。原尿からブドウ糖を回収する通路(チャンネル)がSGLT2、SGLT1です。SGLT2が原尿に含まれるブドウ糖の90%を回収していますが、糖尿病の高血糖ではいくらSGLT2を増やしてもすべてのブドウ糖を回収できません。このようにして血糖値が180mg/dlを超えると尿に糖が出るのです。このブドウ糖を回収する通路(タンパク質で出来ています)を適度にふさいだら、血液に戻る過剰なブドウ糖がもっと減るのではないか? というのが今回のSGLT2阻害薬の基本的なアイデアです。
ブドウ糖の通路(SGLTs)を閉鎖するには……
SGLT2が糖尿病の新薬候補になった手がかりは、珍しい遺伝病である腎性糖尿です。この人たちは基本的に元気なのですが、尿に糖が出ており、血糖値も少し正常値より低いのです。しかし、低血糖と定義されるレベルまでは下がりません。遺伝子研究からこの症状はSGLT2遺伝子の変異であることが分かりました。このことからSGLT2を安全かつ適度に閉鎖すれば低血糖を招かずに血糖値を下げられる道筋が見えてきました。
科学者が必要としたのは腎性糖尿でない人たちのSGLT2の閉鎖の方法です。製薬会社の研究者が取り組んだのはSGLT2を閉鎖してブドウ糖の通路を止め、ブドウ糖が再び血液に回収されることを防ぐ物質の発見です。
ここでリンゴの木の樹皮から発見された物質フロリジンがSGLT2阻害薬の物語に交差するのです。
前述のとおり、1930年代には研究者たちはフロリジンが低血糖を起こさないレベルでブドウ糖を体外に排泄させることを知っていました。これこそが腎性糖尿の人たちに起こっていることです。さらに数十年来の研究でフロリジンがSGLT2の働きを阻害することも分かっていました。
生体膜上の通路(チャンネル)は特定の物質のみを通すようになっています。同じ大きさでも別の物質は通しません。この記事の冒頭に、フロリジンはグリコシド(配糖体)だと書きましたが、フロリジンはブドウ糖に別の基が結合したものです。そのためフロリジンはブドウ糖を取り込むSGLTのトンネルの中でひっかかって止まってしまうのです。こうしてブドウ糖の吸収を阻害します。
では、フロリジンをそのまま使えばよさそうなものですが、フロリジンは原尿からブドウ糖を回収しているSGLT2だけでなく、小腸の上皮細胞で食物のブドウ糖を体に吸収しているSGLT1までブロックしてしまうのです。SGLT1をブロックすると食物のブドウ糖が吸収されにくくなりますから、ちょうどαグルコシダーゼ阻害薬を飲み過ぎたような下痢を起こします。つまり、フロリジンそのものは薬としては役に立たないのです。
という理由で、世界中の製薬会社がSGLT2のみを阻害する新薬を開発中なのです。ここで紹介しきれないほどたくさんあります。
■ 効果と副作用
糖尿病薬は健康を改善し、安全に血糖値を下げることが求められます。SGLT2阻害薬はA1Cを0.7~1ポイントパーセント低下させるという論文がたくさんあります。
また、このSGLT2阻害薬はインスリンをターゲットにしたものではありませんから、1型糖尿病にも利用できそうですが、残念ながらまだ1型糖尿病での治験はありません。
さらにこの薬は低血糖になるまでは血糖を下げませんし、体重も2~4kg減量したというデータがあります。SGLT2阻害薬は60~80g/日のブドウ糖を尿に排泄しますから、体のカロリー収支では300kcalの損失になりますね。
驚くことにこの薬は収縮期血圧(高い方)を3~5mmHg下げます。特に高血圧の人にはよく効いて、13~17mmHgも下がる報告があります。その機序はまた不明ですが……。まるで高血圧の薬みたいです。
副作用としては尿路感染と女性のイースト炎症(カンジダ)は心配されていた通りです。また、腎臓の悪い人は血糖降下はあまり期待できません。
悪玉コレステロール(LDLコレステロール)も上げやすいようですし、米国食品医薬品局は乳がんとぼうこうがんのリスクにも注意しています。骨粗しょう症への影響も取りざたされていますが、骨折のリスクまでは高めないようです。
まったくの新薬ですから、大きな期待とちょっぴりの不安と言うところでしょうか。
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