テクノポップ/アーティストインタヴュー

ウクライナの歌姫イリーナ・ビリク~激動の時代

ウクライナの伝説の歌姫、イリーナ・ビリクにインタヴュー! 10歳で曲を作り始め、ビル・クリントン元大統領の前でウクライナ代表として歌い、現在のウクライナのポップ・シーンを開拓した先駆者。おまけにインタヴュー中、あの「カチューシャ」まで歌ってくれました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

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イリーナ・ビリク

国内でもなかなかインタヴューが難しいと聞くウクライナの伝説の歌姫、イリーナ・ビリクに幸運にもインタヴューできました!インタヴューは、彼女の自宅の近くにあるのどかな郊外のレストラン。10歳で曲を作り始め、ビル・クリントン元大統領の前でウクライナ代表として歌い、現在のウクライナのポップ・シーンを開拓した先駆者。おまけにインタヴュー中、あの「カチューシャ」まで歌ってくれました。彼女の話から、ソ連時代のウクライナから現在のウクライナまでの激動の時代が読み取れます。

 

両親は工場で働いて欲しかった

ガイド:
あなたは僅か10歳で歌を作ったと記事で読みました。いつ音楽の才能に気づいたのですか?

イリーナ:
子供合唱団で最初は歌っていたの。6歳の時、両親が連れて行ってくれた。人々の声が一つになった時、忘れがたい気持ちになったから、歌う事がとても好きだったの。世界中の全ての人たちが合唱団で一緒に歌えば、何も問題はなくなるだろうという考えが浮かんだわ。私が10歳だったある大晦日の日、大人たちはみんなシャンパンを飲んで、冗談を言い合って、楽しんでいた時、私はとても退屈だったので、別の部屋に行ったの。そこには、大きな鏡、とても美しい家具、そして大きなベッドがあったわ。ベッドに座って、詩を思いつき始めたの。それは、5時から12時まで。未だにその詩は忘れない。その後、元旦、2日、3日……と詩を書いていたわ。いくつかの詩を一つにして音楽を書き始めたの。

ガイド:
あなたが歌手になる事を両親はサポートしてくれましたか?

イリーナ:
うーん、両親は私を普通の子供として扱っていたわ。私がやりたい事を成し遂げるなんて全然思っていなかった。私がアーティストになりたいと言った時、「いいえ、あなたは私たちが働いている工場に行って働くのよ。アントナフ飛行機製作工場に行って働かなければ、あなたを助ける事はできない」と言われたわ。父親はそこで技術制御部の部長をしていた。私は、「いや」って言った。私は人気アーティストになって、人々は私の歌が好きになると言ったわ。でも、両親は信じてくれなかった。私の事を愛しているけれども、私が国の誇りとなるとは思えなかったのよ。でも、私は十分出来るという事を証明するために、かえって私に力を与えてくれた。両親の家には行かないし、別々に住んでいるの。家族がいると思うけど、それは遠い存在。

ガイド:

音楽学校には行ったのですか?

イリーナ:

はい、行ったわ。

ガイド:
という事は、両親が支援的でなかったのにかなり強い意志をあなたは持っていたんですね。

イリーナ:
私が12歳になるまで、両親は私を援助してくれた。その後、私の夢を信じる事を辞めてしまったの。私が子供の頃、私を音楽学校に連れて行って、学費を払ってくれたけど、みんなが他を抜きん出る才能のある子供として私に注目し始めた時、両親はお金とコネなしで、この国で歌手になるのは不可能だと言ったわ。一理はあったわ。そして、全て自分でやらなくてはならなかった。私はみんなに助言を仰いで、私の歌を聴いてもらった。でも、誰も私を真剣に受け止めてくれなかったし、誰も私が最高だとは言ってくれなかった。私は多くの人たちの所に行って、価値を認めてもらうために歌を歌ったわ。

 

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