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富士山-信仰の対象と芸術の源泉(3ページ目)

富士山は古来その荘厳で美しい姿で日本人の心のより所となり、日本の芸術・文化を育む源泉となった。『古事記』『日本書紀』では炎と出産の女神コノハナノサクヤヒメと同一視され、『万葉集』ではその気高い姿を詠われ、「富嶽三十六景」「富士三十六景」では日本人の生活とともにある富士の姿が描かれた。今回は世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の概要と構成資産を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

富士山の構成資産3. 湖沼・海

本栖湖から見た富士山

本栖湖から見た富士山。千円札に描かれている「逆さ富士」は、本栖湖から撮影した岡田紅陽「湖畔の春」を図案化したもの

忍野八海、底抜池

忍野八海、底抜池。榛の木資料館の奥にある。資料館の池や有名な中池は人工湖で八海には含まれない

富士講では富士山周辺の湖沼には竜神が住むと伝えられており、これらの湖沼は霊場として祀られた。また、駿河湾と富士山の組み合わせは富士山画の典型として日本人に愛された。世界遺産となったのは以下。
  • 富士五湖(山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖)●
  • 忍野八海(出口池、お釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)●
  • 三保松原○
竜神の中でも八大竜王が住んでいるといわれたのが内八海で、富士五湖、四尾連湖(しびれこ)、明見湖(あすみこ)、浮島沼(のちに泉端)の八つをこう呼んだ。ちなみに外八海は中禅寺湖、榛名湖、霞ヶ浦、芦ノ湖、諏訪湖、桜ヶ池、二見ヶ浦、琵琶湖を示す。
 
歌川広重「富士三十六景-駿河三保の松原」

歌川広重「富士三十六景-駿河三保の松原」

このうち西湖(さいこ)、精進湖(しょうじこ)、本栖湖(もとすこ)は標高約900mにあり、もとは「せの湖」というひとつの湖だった。864年の貞観大噴火の溶岩流によって多くが埋まってしまい、3つの湖として残された。

根本八湖と呼ばれるのが忍野八海(おしのはっかい)だ。延暦大噴火で宇津湖が山中湖と忍野湖に分かれ、忍野湖が干上がったのちに8つの湧水池が残された。この八海にもやはり八大竜王が住むという。湧き水は富士山に降った雪や雨が約20年かけて浸透したのち湧き出していると考えられており、その水は桂川、相模川を通じて東京湾へと注いでいる。

三保松原(みほのまつばら)は駿河湾に飛び出した美しい砂州。古来富士山・海・松の組み合わせで人気を博した景勝地で、さまざまな詩に詠まれ、絵に描かれている。謡曲『羽衣』の羽衣伝説でも知られており、天女が羽衣をかけたという「羽衣の松」(三代目)がある。
 

富士山の構成資産4. 溶岩地形

船津胎内樹型

船津胎内樹型。全長68mと樹型では最大規模を誇る。「甦り」や「生まれ変わり」を意味していたようで、富士講では登拝前にはここで身を清めたという

富士山には溶岩によって作られたさまざまな地形、たとえば樹型(じゅけい)、風穴、氷穴、人穴(ひとあな)、コウモリ穴等々が残されている。特に不思議な形をした物・場所は霊場として祀られており、以下が世界遺産に登録された。
  • 船津胎内樹型●
  • 吉田胎内樹型●
  • 人穴富士講遺跡○
  • 白糸の滝○
人穴

長さ83.3mを誇る洞穴、人穴

樹型(溶岩樹型)とは、溶岩流が樹木の周囲を流れたのちに固まって、木の部分が焼失して残った空洞のこと。部分的に溶け残った溶岩がたれたりガラス化することでさまざまな模様を描くのだが、船津や吉田の樹型は人の肋骨や内臓のように見えることから胎内樹型と呼ばれている。

人穴も溶岩洞穴だが、『吾妻鏡』や『御伽草子』には、この穴の中で浅間大菩薩(浅間大神)がさまざまな姿で現れた物語が記されている。富士講の行者・長谷川角行(かくぎょう)がここで千日間の修行を行って悟りを開き、この地で亡くなったとも伝えられており、富士講では聖地として崇められていた。

高さ20m、幅200mを誇る白糸の滝も長谷川角行が修行を行った霊場のひとつ。川が流れ落ちる一般の滝と違って、白糸の滝の上には大きな川がない。溶岩層の間から数百の滝が絹糸のように流れ落ちる珍しい滝なのだ。近くには日本三大仇討ちのひとつ「曾我兄弟の仇討ち」で有名な音止めの滝がある。
 

富士山の構成資産5. 御師住宅

参詣者に宿坊や食事を提供したり、通行料をとったりする人を御師(おし)という。富士山麓には登拝者の便宜を図るたくさんの御師がいて、御師住宅が連なる御師街を築いていた。世界遺産には2棟の御師住宅が登録された。
  • 旧外川家住宅●
  • 小佐野家住宅●
御師は単なる宿屋の主人・女将といったものではなく、宗教・宗派ごとに専門の御師がいて、その信仰を伝える伝道者でもあった。御師匠というように信者との間に強い師弟関係を築き、檀家を訪ね歩いたりして信仰を導き、布教や祈祷を行った。

富士吉田市歴史民俗博物館の付属施設である旧外川家(きゅうとがわけ)住宅はそんな御師住宅のひとつ。現存最古の御師住宅で、母屋や離、中門が残されている。小佐野家(おさのけ)住宅は1861年に建てられた御師住宅だが、一般公開はされていない。その代わり富士吉田市歴史民俗博物館で復原住宅が見学できる。
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